first love




「どうだったの?テストの結果」

 悪かったら、留年なんでしょ?・・・と、いくばくかの不安を込めてたずねる蘭に、新一はなんでもないことのように、さらりと答える。

「・・・ああ、学年トップだってさ」

 これで留年の危機は半減したな、と、にっと白い歯を見せて笑っている新一。
 いったいいつの間にこなしているのか、眩暈がするほど大量にあったはずの提出課題も、そのほとんどを終えてしまったらしい。
 ときどき思うのだけれど・・・この人の頭の中は、いったいどうなっているのだろう。
 ずっと休学してて、しかも休学中は小学生に混ざって足し算や引き算を勉強してたくせに。

「・・・で?オメーはどうだったんだよ」
「・・・数学さえなければねー・・・。誰かさんが、家庭教師の約束、すっぽかしてくれたから」

 蘭の数学が悪かったのは新一のせいだ、とばかり、台詞の後半に力を込めて口にする。新一は誤魔化すように明後日の方向に視線を泳がせ、いい天気だなー、などと呟いた。

 ま、いいけどね。
 誰かさんと違って、ちょっとくらい成績が下がったからって、留年しちゃうわけじゃないし。

 3月もそろそろ半ば。徐々に暖かくなっていく柔らかな日差しの中を、学校帰りの二人はゆっくりと歩いていた。
 蘭は体調が完全に戻るまで、空手部の練習はお休み。
 こうして一緒に下校するのが、ここ一週間ほどの二人の習慣になっていた。・・・新一が事件で呼び出されたりしなければ、という限定付きのことなのだが、蘭にとって幸いなことに、このところ新一の手をわずらわせるほどの事件は起こっていないらしく、携帯電話が無情な着信音を奏でることはなかった。

 幼馴染であった頃から、二人で登校することも、一緒に下校することも、よくあったこと。
 けれど、それは「偶然帰りの時間が一緒になったから」、又は「たまたま、帰り道で会ったから」。・・・その「偶然」の半分以上が、あえて蘭の帰宅時間に合わせて校門付近をうろついていた新一の努力の賜物であったことなど、蘭は知 るよしもない。だからその頃は、新一と一緒に歩ける偶然を神様に感謝したり、したこともあった。

 けれど今は。
 何の口実も言い訳もなしに、こうして当たり前のように並んで歩いている自分達が、少しくすぐったい。
 新一が掃除当番のときでも、蘭がそれを廊下で待っていることに、特別な理由などいらないのだ。
 新一も、「待っててくれ」などとは一言も言わないくせに、黙って待っている蘭に当然のような顔をして、「さ、帰るぞ」なんて笑って言ってくれる。
 園子たちクラスメイトに言わせると、そんな二人の関係は、新一が休学する前の二人とほとんど変わっていないように見えるらしい。二人で声を揃えて「ただの幼馴染」を主張していた頃だって、普通に一緒に帰ってたじゃないの・・・と、言われてみれば、そうなのだけれど。

 だが、見た目がどんなに変わっていなくても、蘭の中では確実に、何かが以前とは違っていた。
 それが、「幼馴染」と「恋人」との違い?
 交わす会話の内容なんて、それこそ以前とまるで変わらない。お得意のホームズ話や推理小説の話ばかりで、色気もなにもあったもんじゃないというのに。
 ・・・子供みたいに瞳を輝かせて話している新一の横顔が、今では愛しく思えてしまうのだから・・・不思議。

「・・・今度の日曜日、どっか行かねーか?」

 にこにこと微笑みながら新一の話(・・・いつもの、ホームズ話)を聞いていた蘭は、唐突な話題の変換に、思考がついていかなかった。

「・・・え?」

 それが、デートのお誘いだと気づくまでに、数秒。
 思わず目を丸くして、進行方向に視線を向けたままの新一の横顔を、まじまじと見つめてしまった。・・・新一の頬が、少しだけ赤い。

「いや、ほら・・・オメーも無事に退院できたし、テストも終わったことだし・・・元に戻ってから、まだどこにも連れてってやってねーからさ」

 蘭のじっと見つめる視線が居心地悪いのか、照れくさいのか、新一は蘭の顔を見ようともせずに、もごもごと、まるで言い訳するかのように早口で言っている。

「・・・新一・・・」
「あ、予定あるなら、無理にとは・・・」
「新一・・・」
「え?ら、蘭・・・?」

 蘭は隣を歩く新一の腕に、ぎゅっと自分の腕を絡ませた。・・・どうしても、そうしたくなってしまって。途端、新一の頬の赤みが増した。

「・・・ありがと・・・うれし・・・」

 下を向いて小さく呟くと、「・・・喜びすぎ・・・」と、新一の照れたような声が、頭の上から降ってきた。

「・・・どこ、行こうか」
「んー、・・・どこでもいい」
「蘭が決めろよ。・・・一応、オメーの退院祝いなんだからよ」
「じゃ、トロピカルランド」
「・・・あ、やっぱり?」
「何よ、やっぱりって」
「・・・いや、そう言うんじゃねーかと思ってたからさ」

 新一の声がいつもより優しく感じられるのは、蘭の気のせいだろうか。
 腕を絡めて軽快な足取りでゆく町並みも、いつもより優しく感じられて。本当に、こんなに幸せで・・・いいのかな。そう、蘭が思っていると。

 蘭の自宅・・・毛利探偵事務所が視界に捉えられる位置まで歩いてきたときに、ふいに新一が立ち止まった。
 必然的に、新一に腕を絡めていた蘭の足も止まる。

「・・・新一?」

 どうかしたのかと、蘭が斜め上にある新一の顔を見上げると、その視線は探偵事務所の階段の上り口の前にぽつんとたたずむ、小さな人影の上に注がれていた。
 それは大きな赤いランドセルを背負った小さな女の子で、蘭もよく知る少女であった。

「・・・歩美ちゃん・・・?」
「・・・蘭お姉さん!」

 少女のほうも蘭たちに気づき、大きな声で蘭を呼ぶと、二人が立ち止まった場所まで駆け寄ってくる。
 慌ててぱっと新一から身体を離すと、「・・・んな慌てて離れなくても・・・」と、ぶつぶつ呟く低い声が、耳元で聞こえた。

「・・・蘭お姉さんに、教えて欲しいことがあるの!」

 蘭たちのそばまで走り寄ってきた歩美は、紅潮した顔でわずかに息を切らせながら、真剣な口調でそう言った。
 そして言ったあと、蘭のすぐ隣に立つ新一を見上げ、戸惑ったような視線を送る。歩美は「新一」とはほとんど面識がないため、その存在に少し人見知りしたのだろう。
 「コナン」としてはつい最近までクラスメイトだった新一は、そんな歩美の様子にわずかに苦笑して、上半身を屈めて歩美の顔を覗き込んだ。

「・・・歩美ちゃんだろ? 前に会ったこと、あったよな?」

 優しい口調で新一がそう笑いかけると、歩美も緊張を解いたのか、にっこり笑って「うん!」と元気よく返事をした。

「歩美もお兄さんのこと知ってるよ! 新一さんだよね?」
「ああ」
「蘭お姉さんのダンナ様なんでしょ?」

 無邪気な笑顔であっさりと言われ、新一の笑顔が固まった。「オメーが言ったのか?」と引きつった表情と視線で尋ねられ、そんな訳ないでしょ!という思いを込めて、蘭は首をぶんぶんと横に振った。

「・・・誰が、そんなことを・・・」
「園子お姉さんが前に言ってたの! 蘭お姉さんは、なかなか帰ってこない高校生探偵のダンナ様を健気にずっと待ってるんだ、って! ・・・よかったね、蘭お姉さん。ダンナ様がちゃんと帰ってきてくれて」
「・・・園子のヤロー・・・」

 新一の「はは・・・」という乾いた笑い声と、引きつったままの笑顔が、彼の心情を物語っていた。
 クラスメイトからの冷やかしと違い、歩美の言葉は子供ならではの純粋さから出ているものであって・・・心の底から「よかったね」と言ってくれたりするものだから、なおのこと反応に困ってしまう。
 新一の呟きではないが、蘭としても「こんな子供に、誤解を与えるようなことを言わないで欲しいわ・・・」と園子に文句の一つも言ってやりたい気分だった。
 蘭は固まったままの新一を軽く押しのけると、歩美の目の前にしゃがみこんで、目の高さを合わせた。

「・・・えーと・・・歩美ちゃん、今日は一人で来たの?」

 取りあえず話題を逸らそうと尋ねる蘭に、歩美は「うん」と頷いた。
 そう言えば、いつも一緒に行動しているはずの元太や光彦の姿が見当たらない。コナンを通して彼ら少年探偵団を近くで見てきているので、それがけっこう珍しいことだということは、蘭にもわかっていた。

 そして、もう一つ気づく。

「・・・もしかして、学校が終わってから、ずっとここで待ってたの?」

 ランドセルを背負ったままという歩美の姿から、彼女がまだ帰宅していないということに思い当たった。その問いにも、歩美はこっくりと頷く。

 小学1年生の下校時刻は、蘭たち高校生の下校時刻と比べて2時間は早いはず。
 多少暖かくなってきているとはいえまだ肌寒い中、ここでずっと待っていたという歩美の身体はすっかり冷たくなっていた。

「・・・寒かったでしょ? 大丈夫?」
「ううん、平気だよ!」

 元気にそう答えるものの、寒さのために紅潮した頬も、かじかんでしまった小さな手も、蘭の目には明らかだった。
 蘭お姉さんに教えてほしいことがあるの、と、蘭の姿を見つけるなり言った歩美の言葉と、そのときの子供ながらに真剣だった瞳を思い出す。こんなになるまで待ってまで、どうしても蘭に聞きたいことがある、ということか。

「・・・こんなとこでしゃがみ込んでねーで、中で話聞いてやれよ。どうせおっちゃん、いねーんだろ?」

 ダンナ様云々、という話題からひとまず遠ざかったためか、いつもの平常心を取り戻したらしい新一の提案に「そうね」と返事をして立ち上がり、蘭は歩美の冷えた手をとった。

 歩美が蘭に教えて欲しいこと・・・。
 最初に見せた真剣な表情と口調、そして一人で蘭を尋ねてきたという事実から、蘭は歩美の用件にある程度の察しがついていた。
 答えに困るような話になるかもしれないな・・・と思いながら、階段を登ろうとして・・・はた、と気づく。

「・・・あれ? 今日はお父さんいないって、わたし、新一に言ったっけ?」

 蘭の疑問に、新一は軽く肩をすくめて、何でもないことのように説明した。

「・・・この寒い中、歩美ちゃんが外でオメーをずっと待ってたってことは、鍵がかかってて事務所に入れなかったか、おっちゃんに追い出されたかのどちらかだろ? けど、元太や光彦と一緒になって事務所の中で騒いだってんなら追い出された可能性もあるだろうけど、歩美ちゃん一人ならそれはない。・・・それに、今朝オメーがオレを呼びに来る時間が、いつもより10分早かったからな。おっちゃんがいつもより早く起きてきたから、たたき起こす必要がなかったんだろ?・・・出かける用事もねーのに、あのおっちゃんが自発的に早起きするとは思えねーし、早くに出かける必要があったってことは、そこそこ遠方に目的があるってこと。この時間ならまだ帰ってないって程度には、な。・・・どっか違ってるか?」
「・・・違わない」

 蘭が苦笑して答えると、新一は満足そうに口元に笑みを浮かべた。
 と、同じく新一の説明を立ち止まって聞いていた歩美が、驚いたように新一の顔を見つめている。

「・・・新一さんって、コナン君みたい・・・」

 その呟きに蘭と新一は顔を見合わせて、再び同時に固まっていた。
 

※※


 オレは関係ねーから帰る・・・と言い張る新一(本音は、あまり聞かされたくない話になりそうだと察知したから、なのだろうが)を、空手技で脅しつけて無理やり同席させる。
 ・・・まだ完治してねーくせに、道端で人の顔面に蹴り(寸止め)入れてんじゃねーよ・・・と、ぶつぶつとこぼしながらも、新一はおとなしく毛利探偵事務所のソファに、ちょこんと座る歩美と向かい合わせに腰を降ろした。

「歩美ね、どうしても・・・コナン君に会いたいの」

 三人分の飲み物(新一にはコーヒー、歩美にはホットミルク、蘭はその中間のカフェオレ)を用意し、新一の隣に浅く座った蘭に向かって、歩美は身を乗り出すようにしてそう切り出してきた。
 その瞳には思いつめたような真剣な光が宿り、口調も、小学一年生とは思えないほどに強い感情を宿している。
 蘭の隣に座る新一が、天井に視線を向けて小さく息をついた。やっぱり、その話だったか・・・という彼の呟きが、聞こえてきそうなため息だ。
 その思いは蘭も同じだった。歩美のコナンに対する幼い恋心は、かなり前から周知の事実であったから。

「小林先生にコナン君のお引越し先を聞いたら、先生も知らないって・・・。でも、蘭お姉さんなら、知ってるんだよね?」

 小林先生は、帝丹小学校1年B組の担任の先生で、つまり、コナンの担任でもあった。嫌がるコナンを宥めて授業参観に行ったとき、蘭も顔を合わせている。
 歩美の話によれば、コナンは10日ほど、風邪をこじらせたといって学校を休んでいた(もちろん、その真相を蘭は知っているのだが)。コナンが休み始める前には、これも風邪をこじらせた、といって哀が1週間ほど休んでいたので、その風邪がコナンに移ってしまったのだろう、という話だった。
 元太や光彦と一緒に、お見舞いに行きたいと話していたが、「あなたたちにまで移るわよ。今年の風邪は性質が悪いようだから、よしなさい」と哀に止められた。だから、コナンの風邪が治って無事に学校に出てくるのを、首を長くして待っていたというのに、結局コナンはその後二度と学校に出てくることはなかった のだ。
 何日か前の朝の会で、小林先生が言ったのだという。「江戸川君は、お父さんやお母さんの住んでいる外国で、一緒に暮らすことになったそうです」と。
 つまりコナンは、一言の別れも告げずに、歩美たちの前から姿を消してしまった・・・と、そういう話だった。

「元太君も光彦君もね、こんな水臭いヤツだとは思わなかった・・・って、すごく怒ってるの。同じ少年探偵団で、みんなで頑張ってきてたのに・・・さよならも言わないでいなくなっちゃったんだもん。歩美も、始めは怒ってたよ。だって、ひどいよね、コナン君。仲間だと思ってたのに・・・急に、いなくなっちゃうなんて・・・」

 言いながら、歩美の声に涙が滲んできて、その様子に、蘭は胸が詰まる思いがした。
 新一はというと、何とも言えない複雑な顔をして、黙って歩美の顔を見つめている。

「元太君も光彦君も、コナン君のこと好きだったんだよ。だから友達がいなくなっちゃって、寂しいんだよ。みんな、なんだか元気ないんだもん。公園でサッカーもしなくなっちゃったし。それでね、みんなで相談して、コナン君に手紙を書くことにしたの。でも小林先生、コナン君の新しい住所知らないんだって。博士に聞きに行ったのに、博士も知らないって・・・」

 阿笠博士の場合、知らないというより、答えられない、というほうが正しいのだろうが・・・。

「歩美、コナン君のこと大好きだったのに・・・。もうコナン君には会えないのかなあ。外国って、遠いよね・・・。もうコナン君・・・二度と戻ってこないのかな・・・」
「歩美ちゃん・・・」

 そのまま言葉を詰まらせてしまった歩美を放っておけず、蘭は新一の隣から歩美の隣へと席を移動し、歩美の小さな肩を抱きしめた。
 幼いながらも、いや、幼いからこそ尚のこと、歩美の想いは真剣で、一途で・・・その強さに、胸を突かれてしまう。ぽろぽろと涙を流し始めた歩美は、そのまま蘭の膝に縋りついてきた。

「蘭お姉さんなら、知ってるよね? どうしたら、コナン君に会えるの? コナン君がいる所、教えて欲しいの!」
「歩美ちゃん・・・」
「コナン君に会いたい・・・会いたいよ・・・」
「・・・・・・」

 蘭の膝の上で突っ伏して泣きじゃくり始めた小さな少女を・・・新一はただ黙って見つめている。
 蘭は少女の背中を、そっとさすってやることしかできなかった。

 『コナン君に、会いたい・・・』
 その歩美の心の叫びを、蘭は他人事として聞くことができなかった。

 『新一に、会いたい・・・』
 新一が姿を消していた間、蘭の心はずっとそう叫んでいた。その頃の気持ちが、今の歩美に重なる。

 『コナン君のこと、大好きだったのに・・・』
 『どうしたら、コナン君に会えるの・・・?』
 ・・・歩美の言葉の一つ一つが、新一を待ちつづけていた頃の蘭の想いとオーバーラップしてゆく。
 新一がいなくなって、会いたくて会いたくて、でも会えなくて・・・このまま、ずっと会えないままなんじゃないかと、不安に押しつぶされそうだった日々。

 さらに、先ほど家の前で、歩美が新一を見て言った言葉も脳裏を掠める。
 『新一さんって、コナン君みたい・・・』

 同一人物なのだから、似ているのは当たり前。だから、蘭もよく思っていた。コナン君って、新一みたい・・・と。
 目の前にいる人に、今はそばにいない大好きな人の姿を重ねずにはいられない、その切ない気持ち。その思いにも、嫌になるほど覚えがあった。

 こんなに小さな子供なのに、恋する心は同じなんだね・・・。

 違うのは。
 新一は蘭のところにちゃんと帰ってきてくれたけど・・・コナンが歩美のところに帰ることは、絶対にありえない、ということ。
 なぜなら、「江戸川コナン」という人物は、この世界中のどこを探したって、もう存在していないのだから・・・。

 だとしたら、この小さな少女はこれからずっと・・・この想いを抱えたままでいなければならないのだろうか。
 蘭が新一を待っていたのは、1年にも満たない間。その時間さえも、蘭にはとてつもなく長く感じられた。
 けれどこの少女は、いったいどれくらいの間、コナンを待ちつづけるのだろう。
 もう二度と現れない、コナンを。

 きっといつか、その想いは薄れて・・・思い出になっていくのだろうけれど。
 けれど今。
 会いたくても会えない。どこにいるのかさえわからない。そんな人を想い続け、待ち続けることの辛さを、蘭は身をもって知っている。

「・・・なあ、歩美ちゃん・・・」

 しばらく泣きじゃくっていた歩美が少し落ち着いてきたのを見計らって、それまで黙って話を聞いているだけだった新一が、優しく少女に声をかけた。
 歩美は目に涙を溜めたまま、顔をあげて新一の顔を見上げた。
 新一の表情は、小さな少女をいたわるかのような、とてもとても、優しいものだった。

「コナンが、どうして歩美ちゃん達にさよならも言わずにいなくなったのか、わかるか?」

 新一の問いかけに、歩美はきょとんと首をかしげる。

「新一さんは、わかるの? コナン君の気持ち・・・」
「さあな。オレはコナンじゃねーから、本当のところはわからねーけど・・・」

 ・・・誰が、コナン君じゃないって?・・・という気持ちを込めて軽く睨む蘭を綺麗に無視してくれて、新一は優しい顔のままで歩美に笑いかけている。

「あいつはさ、さよならって言っちまうと、余計に歩美ちゃん達を寂しくさせると思って、あえて別れの挨拶をしなかったんじゃねーのかな」
「よけいに、寂しく・・・?」
「コナンが直接歩美ちゃん達にさよならを言っていたら、君も元太も光彦も・・・寂しくて、泣いちまったんじゃねーか? そうしたら、余計に別れが辛くなるだろ? けど、あいつが黙って行っちまったから、みんなは怒ったんだ」
「う、うん・・・」
「あいつはきっと、君達に泣かれるくらいなら、怒られて嫌われたほうがマシだと思ったんだよ。そのほうが、君達が早く元気になれると思ってさ。・・・ま、どっちにしろ歩美ちゃんのことは泣かせちまったけどな」

 ごめんな、と、コナンの声が聞こえたような気がした。
 それは、新一がコナンであったことを知っている蘭だけが読み取れた、言葉にしなかった新一の思いである。

 別れの挨拶を、しなかったんじゃなくて・・・できなかったんでしょ?
 とは思ったが、それが歩美を元気付けるための新一の優しい嘘だとわかっていたから、蘭も新一の言葉に頷いてみせる。
 歩美は新一の顔と蘭の顔とを代わる代わるに見比べて、それから「そっか・・・」と呟いた。

「・・・新一さんって、ほんとにコナン君みたい。コナン君もね、わたし達が落ち込んでたり悲しんでたりしてたら、いつも元気付けてくれたんだよ。優しくって、カッコよかったんだよ・・・」
「そうだね。コナン君、優しくて、カッコいいコだったよね」

 蘭が歩美の背中を撫でながらその言葉に相槌を打つと、新一は少しだけ頬を赤らめて、そっぽを向いた。

「だからね、歩美ちゃん。歩美ちゃんがあんまり悲しんでいたら、コナン君も辛いと思うよ」
「コナン君が?」
「そうよ。だって、歩美ちゃんが泣いてるのは、コナン君のせいでしょ? ・・・自分のせいで誰かが泣いてるってことがわかったら、きっとコナン君・・・悲しむと思うな」

 その言葉を、蘭は過去の自分に向けて言っていた。
 新一のせいで泣いていた自分を、ずっとそばで見ていたコナンは・・・どれだけ辛い思いをしていたんだろう。泣きじゃくる歩美を見つめていた新一のちょっと苦しそうな顔が、かつてのコナンの顔に重なる。

 だから、歩美にも泣いて欲しくなかった。
 ・・・歩美自身のためと、新一のために。

「でもコナン君、どこにいるかわからないんだもん・・・歩美が泣いてるなんて、きっと知らないと思うな」

 俯いて小さな声でそう言った歩美の顔を覗き込んで、蘭はにっこりと笑ってみせた。

「じゃあ、コナン君がどこにいるか教えてあげたら、もう悲しんだりしない?」
「・・・え?」
「お、おい、蘭・・・」

 歩美が驚いたように目を見開き、新一は何を言い出すのだ、とばかりに眉をしかめる。
 そんな二人に悪戯っぽい笑顔を向けて、蘭は内緒話をするように小さな声で歩美に囁いた。

「・・・コナン君のいるところは、ずっと遠いところよ。小さな歩美ちゃんには、絶対に行けないところ。でも、手紙なら送ることができるわ」
「本当に?」
「本当よ。でも、みんなには内緒。わたしもコナン君から、誰にも教えないでって頼まれてるから。だからね、歩美ちゃんにも住所は教えてはあげられないけれど、歩美ちゃんの書いた手紙をわたしの手紙と一緒にコナン君に送ってあげることはできるわ。・・・どう?  それでも、いい?」

 蘭の言葉に、歩美はぱっと顔を輝かせる。

「蘭お姉さん・・・ありがとう!」
「歩美ちゃんがいつか大人になって・・・そしてコナン君も大人になったら、また会える日がくると思うわ。だからそれまでは、歩美ちゃんはコナン君がいなくても、頑張って生きていかなきゃいけないの。コナン君もきっと、むこうで頑張ってるはずだから。負けないように、元気に頑張らないと・・・素敵な手紙を書けなくなっちゃうよ?」
「うん! 歩美、コナン君に素敵な手紙が書けるように・・・頑張る! ・・・あ、でも」

 元気よく言ったあとで、少女はちょっと困ったような顔で上目遣いに蘭の顔を覗き込んで、心配そうに言った。

「コナン君・・・ちゃんとお返事、くれるかなあ・・・」
「大丈夫よ」

 歩美の頭を撫でて微笑んでから、ちらりと新一の顔に視線を送り、蘭は答えた。

「コナン君は優しいコだもの。ちゃんと歩美ちゃんにお返事くれるはずよ」

 安心したようににっこりと笑う歩美の後ろで、「・・・ったく・・・」と小さく呟く新一の仏頂面が見えて、蘭は小さく笑った。
 

※※


「・・・いいのかよ、あんなこと言っちまって・・・」

 完全に、とはいかないまでも、ある程度元気を取り戻して帰っていった歩美の後姿を、事務所の窓から身を乗り出して見送っていると、背後で新一がそう言った。

「あんなこと、って?」

 振り向いて聞き返すと、困惑した表情の新一が、腕を組んでソファにもたれかかって座っている。

「・・・大人になったらコナンに会える、とか、手紙を送ってやる、とか・・・」
「じゃあ、あんな小さな子に、コナン君には二度と会えないんだって、教えてあげればよかったの?」
「・・・そのほうが早く諦めがついて、よかったんじゃねーのか?」
「違うわよ」

 きっぱりと否定すると、新一は意外そうな視線を蘭に向けた。
 新一としては、いつまでも歩美がコナンを想っていることは、けっこう重くて辛いのだと思う。できれば早くコナンのことなど忘れて、彼女なりの幸せな人生を歩んでほしい、と思っているのだろう。

 けれど。

「・・・あのね、新一・・・。突然いなくなってしまった人を忘れるのって、案外難しいんだよ? だってその人とのいい思い出ばっかりが浮かんできて・・・逆に、ますます好きになっちゃうんだから・・・」
「・・・そんなもんか?」
「そんなもんなの。今の歩美ちゃん、ちょうどそんな感じ。無理に忘れさせようと思ったって、無理だよ」
「・・・けど、ガキの恋愛なんて・・・」
「はしかみたいなもんだ、なんて言ったら、怒るわよ」

 軽く肩をすくめたところを見ると、本当にそう言おうと思っていたらしい。蘭は目を細めて、軽く新一を睨んだ。

 子供でも大人でも、抱いた恋心に違いなんてないのだから。・・・だから、歩美のコナンへの想いを、子供のタワゴトだと言い切ってしまいたくはない。

「・・・歩美ちゃんにもね、きっと赤い糸でつながってる素敵な人がいると思うんだ。その人に出会ったときに、コナン君への初恋が、いい思い出になってるといいんだけど・・・」

 蘭の言葉に、新一も優しく笑って、「そうだな」、と答えてくれた。その優しい笑顔にちょっとだけ見惚れながら、蘭は心の中で呟く。

 ・・・ごめんね、歩美ちゃん。
 あなたの恋が実らないことを、わたしは知っている。だって、あなたの好きなコナン君は・・・もう、どこにもいないのだから。
 だから、願わくば。
 あなたのこの小さな初恋が・・・あなたが素敵なレディになるための、大きなステップとなってくれますように。
 あなたがこの恋をいい思い出にできるように、わたしも協力するから。

「・・・なあ。やっぱり歩美ちゃんからの手紙の返事って・・・オレが書くのか?」
「あたりまえじゃない。よろしくね、コナン君!」

 ・・・ったく、しゃーねーなー・・・とぶつぶつ呟く新一。
 そんな様子さえもいとおしくて、蘭はくすくすと笑うのだった。
 

〜Fin〜


novel topへ

                  歩美ちゃん、かわいくて好きです。
                  願わくば、幸せになってほしいなー・・・。
                  で、今回は歩美ちゃんのコナン君への思いに、かつての自分の姿を重ねる蘭ちゃん、
                  をテーマに書いてみました。あんまり新蘭ラブラブ、になってないね^^;

04/01/09