今朝の天気予報では、今日は1日中快晴のはずだったのに、突然やってきた通り雨。
「・・・気象庁に文句言ってやる」
「・・・バカなこと言ってないで、走るわよ!」
降水確率0%と言われて傘を持ってくるなんて、ありえない。
夏の強くて眩しい陽射しの中、「あち〜」なんて文句を言いながら歩いていたところを強い大きな雨粒に叩かれて、新一と蘭は持っていた鞄を雨避けにしつつ、慌てて駆け出した。
高校に入って初めての夏休みの、ある日の午後。
蘭が以前から見たいと言っていた映画に、「そんなラブロマンスなんか、どこが面白いんだよ」と文句を言いつつも、「じゃあ一人で行くからいいわよ」と言ってやったら、「嘘嘘、冗談だって」と、新一はしぶしぶながらもちゃんと付き合ってくれた。・・・結局、映画の間中ずっと寝息をたてていたようだけれど。
映画館を出たあとで、せっかく遊びに来たのだし、このまま家に帰るのももったいないな・・・などと、蘭がこっそり思っていた・・・まさに、その瞬間に降り出した、雨。
(・・・あーあ。ついてないなあ・・・)
あっという間にできてしまった水溜りの中を、新一と並んでばしゃばしゃと水しぶきを上げて走りながら、蘭はこっそりとため息をついた。
寒冷前線が通過したのか、さっきまでの信じられないような暑さはどこへやら、雨と一緒にひんやりとした空気まで空から降ってきたよう。ノースリーブから伸びた腕に、冷たい雨粒が突き刺さるように痛い。
半歩先を走る新一が、走る速度を落とさずに振り返った。
「・・・あそこの木の下!」
「あ、うん!」
大通りをちょっと横道に入ったところにある公園。
その入り口のそばには大きなケヤキの木があって、この季節には目一杯の深緑の葉を生い茂らせている。新一が雨宿り先に選んだのがそのケヤキの木の下であるとわかって、蘭も公園に向かって速度を上げた。
「ひゃー・・・ぐっしょりだな」
ようやくたどり着いた木の下で、新一が肩で息をしながら木の幹に寄りかかった。新一の着ているTシャツはすっかり水分を吸い込んでしまい、ぴったりと肌に張り付いている。
それは蘭も同様で、お気に入りの白のノースリーブはぐっしょりと濡れそぼってしまった。
(・・・ついてないときって、ほんと、ついてない・・・)
久しぶりに新一と出かけるから・・・と思って着てきた、卸したてだったのに。
・・・きっと通り雨だから、そんなに長くは降らないだろうとは思うのだけれど。
「・・・すげー雨だなぁ」
新一はケヤキの幹から身を起こし、雨が当たらないぎりぎりの場所から、すっかり灰色になってしまった空を恨めしそうに見上げた。
「止みそうにない?」
「んー・・・そんなことねーと思うけど」
「・・・しばらくは動けないね」
「・・・だな」
新一に並んで空を見上げながら、蘭は再びため息をついていた。
と、蘭の耳元で、大きなくしゃみ。
「・・・ちょっと新一、寒いんじゃないの?」
「や、大丈夫」
「でもTシャツ、びしょ濡れだし・・・そのまま着てたら、風邪引くわよ」
「・・・じゃ、脱ぐ」
「え」
一瞬、新一の言っていることが理解できず、理解したときにはすでに新一の上半身は露わになっていた。
「ひゃー、絞れるぞ、このシャツ!」
なんて言いながら、なぜか嬉しそうに、雑巾を絞るようにぎゅーっとTシャツを両手で絞る新一。ぽたぽたと、足元に水滴が落ちた。
(・・・ちょっと・・・何、どきどきしてるのよ・・・新一の上半身裸なんて、見慣れてるでしょ!?)
子供の頃から、見ることはよくあったし。
一緒にプールや海へ行くことだってあるんだし。
だが、大きな木の下に二人きりという状況で、すぐ目の前に晒された意外と逞しいその素肌に、蘭の鼓動は五割増に早まってしまった。
服を着ているとけっこう華奢に見えるのに、しっかりと筋肉のついた胸板。
無駄な贅肉のついていない綺麗な腹筋。
男の人にしてはちょっと白い肌の色。その肌が水滴を弾いて、時折きらきらと輝いて見える。
・・・新一ってば、いつの間にか・・・男の人に、なってしまっていたんだな・・・。
いつもバカなことばっかり言って、子供みたいにはしゃいだりして、・・・そりゃ、推理してるときなんかは、どきっとするほどカッコいいと思ってしまうこともあるのだけれど。・・・でも。
「・・・ん?どうかしたのか?」
絞り終えたTシャツを、ぱんっと音を立てて広げながら、黙り込んでしまった蘭に向かって新一が笑いかけた。
「な、なんでもないっ」
「・・・もしかして、オレの身体に見とれてた?」
「ば・・・馬鹿っ!そんなわけないでしょっ!!」
耳まで赤くなっているのが自分でもわかり、蘭は叫ぶなりぱっと俯いてしまっていた。
・・・認めたくなんか絶対にないけれど、いつのまにか逞しくなってしまった新一に、ちょっとだけ見とれてしまっていたのは、本当だったから・・・。
そしてそんな蘭を、驚いたような表情で新一が見ている。・・・これまた居心地が悪くて、蘭はますます俯くしかなかった。
そして。
「・・・くしゅん!」
今度のくしゃみは、蘭だった。雨にぐっしょりと濡れてしまったのは、蘭も同様だったから・・・。
「・・・おいおい、大丈夫かよ」
「う、うん・・・」
言いながらも、ちょっと寒気がした。
濡れたノースリーブシャツが身体にぴったりと張り付いて、蘭の体温を奪ってゆく。いくら夏の盛りとはいえ、気温が下がっているところにそんな格好でいつまでも立っていては、確実に風邪を引いてしまうだろう。
かと言って、新一のように服を脱いでしまうことなんて・・・当然、できるはずなどない。
雨はさっきよりは少し弱まったようだが、まだ止む気配はない。
さっさと家に帰って着替えた方がいいのはわかっていたが、この雨の中を濡れて帰ったのではますます風邪引きまっしぐらではないか。
(・・・やば。ちょっと・・・寒いかも)
夏風邪は治りにくいっていうし、引きたくないなあ。明日からは空手部の練習だってあるっていうのに・・・。
ほんと、ついてないときって、何から何までついてない。
・・・そんなことを蘭が思っていると。
ばさっ・・・と、何かが蘭の肩に、乱暴に掛けられた。
「・・・え?」
驚いて顔を上げて見てみれば、青い男物のシャツが蘭の背中に掛けられている。
「これ・・・?」
「着てろよ。ちょっとは暖かいだろ?」
「え、でも、新一は・・・?」
「オレは寒くねーから。蘭が着てろよ」
このシャツは濡れていない。・・・どうやら、新一の鞄の中に入っていたようだ。
薄い生地の長袖のシャツだったが、露出して冷えていた蘭の肩に、確かにそれはとても暖かく感じられた。
蘭には大きなサイズのそのシャツに、言われるままに袖を通す。・・・こんなところでも、新一はいつの間にか、男の人になっているんだと気付かされる、その大きなシャツ。
cut by
あおりさん
「でも、何でこんなシャツ、持ってたの?」
「・・・映画館、クーラー効きすぎて寒いかもしれねーと思って」
「新一、寒がりだったっけ?」
「オレじゃなくて・・・」
何かを言いかけた新一が、急にそっぽを向いて口篭もってしまった。
(・・・オレじゃなくて?)
続きが気になり、新一の顔を覗き込む。・・・なぜか、その顔が少し赤い。
「オレじゃなくて、何よ」
「・・・だから、オメーがだな・・・その、肩が寒そうだと思って・・・」
「え、わたし?」
「俺んちに迎えにきたときに、そのカッコだったから・・・一応、鞄に入れといたんだよ」
お気に入りのノースリーブ。
今日は暑くなると思っていたから、肩が出ていてもちょうどいいと思っていたけれど・・・この服を見て、新一が「寒そう」と思ってくれていたことに、びっくりする。
だって迎えにいったとき、「・・・ほんとに行くのかよ・・・この暑い中・・・」などと、ずっとぶつぶつと文句を言っていたくせに。
「・・・お、晴れてきたぜ!」
蘭の視線から逃げるように、新一は突然、木の下を飛び出した。
「・・・降るのも突然だったけど、止むのも突然だなあ。見ろよ、太陽出てるぜ!」
「えっ?」
新一の言葉通り、ほんの少し前まではどんよりと暗い灰色だったはずの空が、いつの間にやら青空に戻っている。
蘭は新一を追いかけるようにして木の下から駆け出した。
「・・・嘘みたい」
あっという間に戻ってきた、真夏の太陽。
その光が、濡れた草木や水溜りに反射して、きらきらとそこら中が輝いている。
・・・そんな光の中で、新一が蘭を振り向いて、嬉しそうに微笑みかける。
新一の濡れた髪にも、陽射しが反射して。
その眩しさに、ちょっと目を細めながら・・・蘭の心臓は、その笑顔にきゅっと掴まれてしまう。
幼馴染の、新一。
ずっと一緒にいたはずなのに。・・・なのに、ようやく、自覚する。
どうしよう・・・胸が、痛い。
新一が好きで、胸が、痛い。
小さい頃からそばにいるのが当たり前で、恋とかなんとか、そんな感情なんてなかったはずなのに。・・・いつの間にか新一を異性として見ている自分に気付いたのは、つい最近のこと。
そして、こうして思い知らされる。
恋に落ちてしまっている、自分に。
いつの間にかこんなにも、新一に、恋をしてしまっている・・・その、心に。
「・・・行こうぜ、蘭!」
蘭の視界の中で、新一は夏の太陽に照らされて、軽やかに駆け出してゆく。
「・・・待ってよ、新一っ!」
それを追いかけながら、蘭は、その姿を見ているだけで切なくなってしまう自分の恋心に、ちょっとだけ泣きそうになっていた。
いつか、この想いは届くのだろうか。
こんなに切ない気持ちを抱えてしまった蘭に対して、まるでいつもとかわらない笑顔を向けてくる新一に・・・届く日が、くるのだろうか。
夏の太陽の下、新一の匂いの残るシャツを抱きしめながら、蘭は新一を追いかけていく・・・。
〜fin〜