(オレの、せいだ)
コナンは自分の両手の指を組み合わせ、あらん限りの力を込めて握り合わせる。その指から血の気が失せて、真っ白になってしまうほどに。
「・・・しん・・・いち・・・」
意識がはっきりしていて呼んでいるわけではない。
高熱にうなされながら、自分であって自分ではない男の名を呼ぶ、蘭。
オレは、目の前にいるのに。
間違いなく、ここにいるのに。
熱の為に紅潮している蘭の苦しげな寝顔を、コナンはただじっと見ていることしかできなかった。
「し・・・んいち・・・」
唇から荒い息とともに漏れる、その名前。
コナンはもう、それを平気で聞いていることができなくなっていた。
(・・・くそっ!)
乱暴に扉を開けて、病室を飛び出す。
・・・どこでもいいから、蘭の声が・・・蘭が新一を呼ぶ声が、聞こえない場所へ行きたかった。
※※
それは10日ほど前の話だ。
『いったいいつになったら帰ってくるつもりなのよ!』
鼓膜がおかしくなってしまうのではないかと思うほどの蘭の大声に、コナンは思わず携帯電話を耳から遠ざけた。
蘭の怒りの理由は簡単。
高校生にとっての一大イベントである修学旅行・・・それに、新一が参加できない、と告げたため。
『・・・クラスのみんなも、新一と一緒に行くの、楽しみにしてるのよ?』
「だから・・・しゃーねーだろ?厄介な事件が・・・」
『いっつもいっつも、そればっかり!もう聞き飽きたわよっ!』
いつにない迫力の蘭の声。・・・コナンはいつものように、こっそりとため息をつくしかなかった。
そりゃ、行けるものなら行きたいさ。
こんな身体でさえなければ、クラスの連中と一緒に馬鹿騒ぎして、蘭と一緒に旅行を楽しんで・・・。
が、どんなに参加したくとも、とても叶えられないという、この現実。
蘭の言葉で、それをさらに思い知らされる。
「・・・とにかく、今忙しいから・・・切るぞ」
これ以上、蘭に責めたてられ続けることにうんざりし、コナンがため息混じりにそう告げる。
と、蘭はこれまで以上の大きな声で、『この推理バカっ!!!』と叫んだかと思うと、直後にはぶちっと通話が切られていた。
(・・・悪かったな、推理バカで)
通話が切れた携帯電話を耳から離し、コナンは再度、ため息をついた。
新一がコナンとして蘭の家に居候するようになってから、すでに半年以上がたっていた。
子供の振りもけっこう板についてきた今日この頃。蘭と小五郎との3人暮らしも、比較的平和に過ぎていっている。
そして時々は、新一の声で蘭に電話をし、他愛もない会話を交わす。
そんなよくある日常の、いつもの一コマであったはずなのだが・・・。
コナンは携帯電話をポケットに突っ込むと、重い足取りで毛利探偵事務所の階段を登り始めた。・・・事務所の中にはおそらく、不機嫌顔の蘭が待っていることだろう。コナンに対して八つ当たりするような奴でないことはわかっているが、それでも機嫌の悪いときにはあまり近付きたくはない。
・・・その機嫌の悪い原因が、自分自身にあることがわかっているから・・・尚のこと。
「・・・ただいまー・・・」
恐る恐る事務所のドアを開けて、中を窺う。
小五郎の姿が見えないところをみると、珍しく仕事にでかけたのだろうか。
そして、応接ソファに座った制服姿の蘭の後姿・・・コナンの声が聞こえなかったはずはないというのに、こちらを振り向きもしない。・・・もしや、周りの音が耳に入らないほど、頭に血が昇っているのだろうか。
「蘭姉ちゃん・・・?ただいま・・・」
再度、恐る恐る声をかける。
・・・と、コナンの声に、蘭の肩がびくっと震えた。
「・・・あっ、こ、コナン君・・・おかえりっ!」
ドアの前に立つコナンの方を振り向いて、蘭は無理に作ったような明るい声でそう言った。
だが、コナンにはわかってしまった。・・・慌てて拭ったのだろうが・・・その大きな瞳が、涙で濡れている。
つい数分前まで、電話で話をしていたのだ。
受話器の向こうから聞こえてきた声は、そりゃ、機嫌がよろしくはなかったが・・・いつもの蘭の、元気な声で。
それが数分もたたないうちに、なぜ、泣いてしまっているのだろうか・・・。
「・・・は、早かったのね?てっきりみんなと一緒に遊んでから、帰ってくるのかと思ってたのに!」
・・・ソファから勢いよく立ち上がり、無理矢理に作った笑顔を見せる。
コナンを心配させまいとしているのだろう、必要以上に、明るい声。
「蘭姉ちゃん・・・泣いてたの?」
するりと口をついて出てきたコナンの言葉に、蘭は再び、びくりと肩を震わせた。
作っていた笑顔が崩れ、見る見る間にくしゃっと泣き顔になる。
「・・・ごめんね、コナン君・・・。コナン君が帰ってくるまでに、泣き止もうと思ってたんだけど・・・と、止まらなく、なっちゃって・・・」
堰を切ったようにぽろぽろと零れ落ちる、蘭の涙。
それを見ただけで、コナンは金縛りにあったかのように、戸口から動けなくなってしまった。
・・・さっきまで、でけー声で怒ってたはずだろ?
何で・・・電話を切った後になって、一人でこっそり泣いてんだよ・・・。
「・・・新一兄ちゃんの、せい?」
(オレの、せいなのか?)
口に出した問いと、胸の中での呟きは、言葉は違えど同じ意味のもの。
それに対して蘭は、力なく首を横に振った。
「ううん・・・違うよ、コナン君・・・そうじゃ、ないんだ」
コナンは立ったまま俯く蘭のそばへゆっくりと歩み寄ると、その手をとってソファに座るように促した。
そして、自分もその横にちょこんと座る。
違うだなどと・・・そんな言葉、とても信じられるわけがないではないか。
電話を切った直後のこと。・・・他に原因など、考えられないというのに。
「・・・蘭姉ちゃん・・・ほんとに、どうしたの?新一兄ちゃんのせいなんでしょ・・・?」
「どうして、新一のせいだって思うの?」
蘭の顔を下から覗き込むようにしてしつこく新一の名前を出すコナンに、蘭が不思議そうな視線を向ける。
コナンはわずかに俯いて、小さく答えた。
「・・・だって、今まで蘭姉ちゃんが泣いてたときって・・・いっつも、新一兄ちゃんのせいだったからさ・・・」
「そっか・・・そういえば、そうだよね。コナン君には隠し事なんて、できないね」
涙を瞳に湛えたままで、蘭は小さく、ふふ、と笑った。・・・まったく楽しそうでも嬉しそうでもない、見ているほうが切なくなるような笑顔で。
「じゃ、やっぱり・・・」
やっぱり蘭が泣いているのは、新一のせいなのだろうか。そして・・・さっきの、電話のせいなのだろうか・・・。
「・・・うーん。新一のせいかもしれないけど、新一のせいじゃないと思う。・・・ただ、ちょっと、自己嫌悪になっちゃって、ね」
「・・・自己嫌悪?」
「新一から、さっき電話があって・・・あいつ、修学旅行なんか行けるわけないだろって、当たり前みたいに言うから・・・ついつい、ヒステリックに怒っちゃって・・・わたしって、ダメだなあって、思ったら・・・」
ぽつりぽつりと、蘭は小さな声で語りだす。
「新一は事件で大変で、すごくがんばってるのに・・・そんなこと、ちゃんとわかってるのに。それなのに、新一はわたしと一緒に修学旅行になんか行きたくないんだって思ったら、寂しくなっちゃって、つい、怒鳴っちゃったんだ。ダメだね、わたしって。ちゃんと待ってるって、決めたはずなのに・・・子供みたいに、駄々こねてるみたい・・・」
「・・・・・・」
「せっかくの修学旅行だから・・・新一と一緒に、行きたかったんだ。でも、わたしのワガママだから・・・がんばってる新一に、そんなこと、言っちゃいけないのにね・・・」
「・・・んなこと、ねえよ・・・」
思わず、本来の自分が顔を出してしまう。
蘭が「え?」と不思議そうな顔をするのに、慌てていつもの子供じみた笑顔を作り、コナンは両手を振って誤魔化した。
「あ、だから・・・新一兄ちゃんもきっと、蘭姉ちゃんと一緒に修学旅行に行きたかったって、思ってるはずだよ!」
コナンの言葉に、蘭は首をかしげて、「そうかな」と呟く。
コナンは口調を強めて、「そうだよ!」と身を乗り出した。
「蘭姉ちゃんが泣くことないよ!悪いのは、なかなか事件を解決できない新一兄ちゃんのほうなんだからさ!だから蘭姉ちゃんが怒ったって、当たり前だよねっ!」
「・・・ふふ・・・優しいね、コナン君は・・・」
ようやく蘭の表情に、無理矢理ではない笑顔が浮かんだ。・・・やはり、どこか寂しげではあったけれど。
(・・・わりーのは、ほんと、オレだからさ・・・)
早く黒の組織をぶっ潰して、元の身体を手に入れなければならないのに・・・なかなかそれができずにもたもたしているのは、自分だから。蘭に「すごくがんばってるのに」などと言ってもらう資格など、きっとありはしないのだ。
蘭は自己嫌悪なのだと言うけれど、やはり蘭を泣かせているのは自分自身であったのだとあらためて知らされて、コナンの胸に棘が刺さった。
※※
蘭が修学旅行に出発したのは、そんなことがあった1週間後のことだった。
行き先は京都・奈良・大阪・神戸という関西の主要観光都市を一回りしてくるという、比較的ありがちなコースらしい。
あの日以来、蘭はコナンの前ではいつもの笑顔を見せてはいたが、それが彼女お得意の強がりであることは、目に見えて明らかだった。
いくら笑顔を作ってみせても、目の下の隈が睡眠不足を如実に語っている。・・・眠れない夜を過ごしていたのは、間違いないだろう。
もう一度、新一の声で電話してやろうか・・・と、思わないでもなかったが、結局、新一が修学旅行に一緒に行けないという現実には何の変わりもない。かけたところで再び蘭を落胆させるだけなのなら、いっそ何もしないほうがマシだと思った。
・・・蘭を落胆させる台詞しか口にできないであろう自分自身に、嫌気がさす。
貼り付けたような笑顔とは裏腹に日に日に沈んでいく蘭を横目で見ながら、結局は何も言ってやれず、何もしてやれない自分自身を、コナンは情けなく思うしかなかった。
「・・・ったく、蘭のやつ・・・いつになったら帰ってくるんだ?」
「明日の夕方のはずだよ」
小五郎と二人で、事務所の下のポアロでとる夕食も、これで4回目。
家事全般を取り仕切る蘭の不在で、何かと不自由な思いをしているのだろう・・・小五郎は不機嫌そうに、ぶつぶつとこぼしている。
明日には蘭が帰ってくるとわかってほっとしているようだが、そんなに不自由な思いをしているのなら、別居中の愛妻(?)とよりをもどせばいいだろうに、などと、コナンは密かに思ったりしていた。
ま、あの人が帰ってきたところで、毛利家の炊事の担当が蘭であることに、かわりはないのだろうが。
小五郎の携帯電話がけたたましく鳴ったのは、二人が食事を終えて食後のコーヒーを飲みつつ、小五郎が新聞を、コナンが漫画雑誌を開いているときのことだった。
見覚えのない電話番号に一瞬顔を顰めつつも、「はい、名探偵の毛利小五郎です」と、努めて渋い声で応答する小五郎に、呆れ顔の視線を送っていたコナンだったが、その小五郎の表情が激変したことで、大きな胸騒ぎを覚えた。
「・・・何だって!?」
電話の向こうに叫ぶなり、小五郎が席から立ち上がる。・・・その大声に、店にいた客が皆こちらを振り向いている。
「・・・で!?病院の名前は!?」
・・・病院?
話が見えないなりに、なにやら緊迫した雰囲気を感じ取り、コナンは緊張した視線で小五郎の顔を見上げた。
「・・・わかった。・・・これからすぐ向かう!」
携帯を切り、店を駆け出そうとする小五郎。・・・コナンがそれを追いかける。
「おじさん!・・・何があったの!?」
「・・・蘭が、橋から川に転落して・・・病院に運ばれた」
コナンの心臓が、凍りついた。
※※
新幹線に飛び乗って新大阪へ。そしてタクシーで蘭が運ばれたという病院へ。小五郎とコナンはほとんど口も利かない状態で、その場所に息せき切ってたどり着いた。
待っていたのは蘭のクラス(・・・つまり、新一のクラス)の担任教師と、旅行中つねに蘭と行動を共にし、問題の事故が起こった瞬間にもその場にいた園子だった。
「・・・それで、蘭の具合はっ!?」
小五郎の掴みかかるような問いに、園子は半べそ状態で答える。
「かなり水を飲んでて・・・川から引上げられたときは、ぐったりして、意識がなくて・・・それから、目を覚まさないのよ・・・」
「園子姉ちゃんっ!・・・なんで、蘭姉ちゃん・・・川なんかに・・・」
「事故だったのよ。私たち、大阪市内を自由行動で回ってたんだけど、ちょうど橋の上を歩いてるときに反対側から自転車に乗った酔っ払いおじさんが近付いてきて・・・ちゃんと避けたつもりだったんだけど、そのおじさん、蘭のほうに急に倒れこんできたのよ」
酔っ払いおやじ、だと!?
コナンの胸に、言いようのない怒りが渦巻く。
そのおやじが、蘭を、そんな目に・・・っ!
が、続く園子の言葉は、コナンをさらに愕然とさせた。
「いつもの蘭だったら、こんなこと絶対にないのに!旅行中ずっと寝不足みたくて、疲れもたまってるみたいで、今朝から熱っぽかったのよ。足元もちょっとふらついてて・・・そのおじさんが倒れてきたとき、避けきれなくて、一緒に橋の欄干から・・・」
「・・・それで!?」
小五郎が、園子に尚も詰め寄る。
「思ったより水深が深くて、制服がからまって泳げなかったみたいで・・・通りがかった人が飛び込んでくれたんだけど・・・」
「命に別状はないんだろーなっ!?」
「それは、大丈夫だって、お医者さんが。でも、もともと熱っぽかったのに、そんなことになって、今、すごい高熱が出てるのよ。解熱剤を打ってもらったんだけど、ぜんぜん下がらなくて・・・すっごい苦しそうで・・・」
「・・・くそっ・・・」
舌打ちを残し、小五郎は蘭の病室へと突き進み、中に入っていく。
・・・コナンは、それを追うことができなかった。
園子の言葉を聞いた瞬間、思考能力も運動能力も、まるで麻痺してしまったかのように・・・動くことも口を開くこともできなくなっていたのだ。
蘭が、川に転落した原因・・・それが、自分自身にあったのだと、知らされて。
出発する前から、蘭の様子はおかしかった。
その原因は新一との電話。心ならずも新一を責めるような言葉を発してしまったことに、蘭自身が罪悪感と自己嫌悪を覚えてしまったため。
そうではない、とコナンの口からいくら言ったところで、蘭の自分自身を責めてしまう気持ちを、やわらげることはできなかった。
蘭の心の重荷をなくしてやれるのは・・・ただ一人、その原因を作った男しかいない。
それがわかっていたのに、コナンは新一として蘭に電話をしてやることができなかった。・・・結局は同じことの繰り返しになるだけだと思ったからだ。
そしてもう一つの理由は、結局は蘭の願いを叶えてやれない自分という存在を、否応なしに目の前に突きつけられるであろうことを、知らず知らずのうちに嫌悪してしまっていたため。
蘭を喜ばせてやりたいのに、それができない自分自身の無力さを、思い知らされたくなかったため。
・・・コナンが新一として蘭に電話をかけているのは、それを蘭が望んでいると思っているからだ。蘭を喜ばせるため、蘭を安心させてやるため、蘭の精神安定のため・・・と、色々な言葉を並べられるが、結局は蘭の喜ぶ顔が見たいから。
だが、今回の件で蘭に電話をしたとしても、一緒に旅行に行きたいという蘭の望みを叶えてやることは絶対にできない。落胆させるだけなのだ。・・・そんな、「電話したところで蘭を喜ばせてやれない自分自身」というものを認めたくなくて、避けてしまっていた。
蘭があの日の電話以来、新一からの電話を待っていたことは、わかっていたというのに。
新一に対してヒステリックな態度を取ってしまった蘭が、何とか新一に謝りたいと思っていたことに・・・そして、それができずに悩んでいたことに、気付いていたというのに。
そしてそんな心の重荷と自己嫌悪を背負ったままで旅行に出かけていった蘭に襲い掛かった、今回の事故。
園子は言った。・・・いつもの蘭だったら、こんなことは絶対になかったのだ、と。
蘭を川に突き落としたのは、つまり・・・蘭を「いつもの蘭ではない」状態にしてしまった、新一だということなのだ。
(・・・オレの、せいだ・・・)
蘭の病室に入っていくこともできず、コナンはきつく唇を噛んで、ただただ立ち尽くしていた。
寝不足も、オレのせい。
疲れがたまっているようだったのも、オレのせい。
熱っぽかったというのも、オレのせい。
いったいオレは、何をやってるんだ・・・っ!
電話してやるべきだったのだ。
蘭が自己嫌悪を感じているのがわかっていたのだから、それを解放してやる機会を、与えてやるべきだったのだ。
だが、自分がしたことといえば、コナンとして彼女のそばで、元気を出せとバカのように繰り返すだけ。・・・新一として言ってやらなければ、何の意味もなかったというのに!
「・・・コナン君」
一歩たりともも動けずにいるコナンの目の前に、園子がしゃがみ込んできた。
「園子・・・姉ちゃん・・・」
コナンに対して、いつもならば「生意気なガキンチョ」だの「この子がいるとすぐに事件に巻き込まれるからいやなのよ」だのと、憎まれ口ばかりを叩いている彼女が、切羽詰った縋るような目で、コナンの顔を覗き込んでいた。
「・・・コナン君、あんた、新一君の連絡先知らないの・・・?」
「・・・え」
園子の口から出てきた言葉に、一瞬、心中を読み取られたように感じて、コナンははっと息を飲んだ。
そんなコナンの様子はきれいに無視してくれて、園子は低く押し出すように、言葉を続けた。
「・・・蘭・・・ずっと、うわごとで、新一君の名前を呼んでるのよ・・・」
「蘭、姉ちゃんが・・・」
「新一、ごめんね・・・って。何回も、何回も・・・。・・・蘭の熱が下がらないのは、心理的な問題があるんじゃないかって、お医者様が言ってるの」
「・・・・・・」
「・・・きっと出発前に、新一君と何かあったのよ。だからきっと、新一君がここに来てくれたら、蘭の熱も下がるんじゃないかと思って・・・」
「・・・・・・」
コナンは、無言で俯いた。
園子の予測ははずれてはいない。
そして彼女が言うように、解熱剤を打っても蘭の熱が下がらないのだとすれば、それは多分に心理的な要素が働いている可能性も否定できなかった。
蘭の自分自身を責める気持ちが、彼女の体調にまで影響を及ぼしている、ということか。
そうだとすれば園子が言うように、その重荷を取り除いてやれる存在がここにきて、彼女の心を軽くしてやることができたならば、蘭の高熱も下がるのではないだろうか。
・・・だが。
(・・・それができるのは、オレしかいないけど・・・オレじゃ、だめなんだ・・・)
蘭を救ってやれるのは、新一だけ。
だが、コナンでは、だめなのだ。
旅行前、どんなにコナンが「蘭姉ちゃんは悪くない」と言っても、蘭は寂しそうに笑うだけだった。
コナンの言葉では、蘭の重荷を取り除くことはできないのだ。
「・・・新一兄ちゃんは、今・・・ここに来られないところにいるはずだから・・・」
ここに立っているのは、間違いなく「工藤新一」でありながら、けっしてそうではない存在。
コナンの言葉に、園子は目に見えて肩を落とし、「・・・そっか。なら、しょうがないわよね・・・」と呟いた。その声に、わずかに新一への非難を滲ませながら。
園子と二人の気まずい雰囲気がどうにも居心地悪くて、コナンはようやく自分の意志で動かせるようになった身体を引きずるようにして、蘭の病室に入った。
一人部屋の小さな病室のベッドに寝かされて、点滴を打っている蘭。その枕元には、眉間に皺を寄せて蘭を心配そうに見下ろして立っている、小五郎。
無言でそのそばまで近付くと、コナンはベッドの脇からよじ登り、蘭の様子を窺った。
熱の為に紅潮した寝顔は、時折苦しげに歪んでいる。
唇からは荒い息が漏れ、額には汗が滲んでいた。
そしてコナンの耳に、その心臓を突き刺すような、蘭の声が届く。
「・・・し・・・ん・・・いち・・・」
コナンはぎゅっと、唇を噛み締めた。
オレは、ここに・・・いるのに。
そして蘭は、間違いなくオレを呼んでいるのに。
なのに、今、二人の間に横たわる途方も無く深い溝を、コナンは自覚せずにはいられなかった。
※※
蘭の新一を呼ぶ声を聞いていられなくなって病室を飛び出したコナンは、そのまま病院からも駆け出していた。
すでに真夜中となった病院の周囲には、不気味なほどの静寂が横たわっている。
その中で、ずっと走りつづけてきたコナンの息遣いだけが、大きく響いていた。
蘭を苦しめている。
他の誰でもない、自分自身が。
それがわかっていて、何もしてやれない。
蘭を安心させてやることも・・・その重荷を、取り去ってやることも。
「・・・くっ・・・!」
情けなくて。
苦々しく吐き捨てて、コナンは歩道の縁石に座り込んだ。
・・・オレに、何ができる・・・?
この、小さな身体で。
新一を呼ぶ蘭。
新一を求める蘭。
それは・・・オレなのに。
間違いなく、オレで、あるはずだというのに!
その声を、聞いていられなかった。
その声に答えてやれない自分自身が、情けなくて憎たらしくて、しょうがなかった。
「・・・・・・」
どれくらい、そうして座り込んでいただろう。
コナンの胸に、一つの選択肢が浮かび上がってきた。
本来ならば、けっして取り上げたりなどしない、その選択肢。・・・が、今はそれ以外に選べる道を、どうしても思いつけなかった。
絶対に、やりたくない方法。
だが、蘭のためには・・・必要な、こと。
携帯電話を取り出して、コナンはある人物に、連絡をとった。
※※
(ごめんね、しんいち・・・)
熱に浮かされ、霞みがかかったようにぼんやりとした頭の中で、蘭は何度もそう呟いていた。
わかってたはずなのにね。
新一が、忙しいってこと・・・。
でも、つい・・・つい、ヒステリックに怒鳴ってしまった。
だって、ずっとずっと、楽しみにしていたのに。
修学旅行は2年生の秋で、だから1年から2年に進級するとき、新一と同じクラスになって・・・これで、修学旅行も一緒のクラスだと思ったら、すごく嬉しかったのを覚えている。
だが、新一はあの日以来、事件を追いかけてどこかに行ったきり。
せっかく同じクラスになれたというのに、「新一と一緒の学校生活」なんて、もうどんなものだったのかも忘れてしまいそうなくらい、遠い昔話になってしまった。
それでも、少しは期待していたのだ。
あの学園祭のとき・・・たった2日だけだったけれど、新一はひょっこりと帰ってきた。
だから、もしかしたら今度の修学旅行も、ふいっと突然帰ってきて、一緒に行けたりするんじゃないか・・・って。
なのに新一は、何をバカなこと言ってんだ・・・とでも言うように、「行けるわけねーだろ」と、不機嫌そうに言ってくれて。
それに、カチンときてしまった。
ああ、そうでしょうね。
あんたにとっては修学旅行なんて、どーーーーでもいいんでしょうねっ!
楽しみにしていたのは自分だけだったのだと思い知らされて、蘭は感情のままに、新一に怒鳴りつけてしまっていた。
『この推理バカ!!!』
・・・と。
電話を切った直後に、ものすごく後悔した。
新一だって、好きで学校を休んでいるわけじゃないのに・・・事件を解決するために、頑張ってるのに。
自分の思ったとおりにならなくてわめき散らしている、子供みたいなことをしてしまった。
慌てて謝ろうとしたけれど、・・・蘭は、新一の電話番号を知らないのだ。
いつもいつも、かかってくる電話を、待っているだけ。
そう思ったら、何だか情けなくなってしまって・・・知らず、涙が零れていた。
ごめんね、と一言謝ることさえ、自分には許されていないのだ、と思ってしまって。
結局、自分の存在は、新一にとってはどんなものなんだろう・・・と、余計なことまで考えてしまって。
そして、そんな自分に嫌悪感すら覚えてしまった。
情けないなあ・・・と、ぼんやりとした頭で考える。
こんなに、自分の感情がコントロールできなくなるだなんて。
子供みたいに怒鳴ってしまって、嫌な思いをさせてしまっただろうことを、素直に謝りたいのに。なのに新一は、それさえもさせてはくれないのだ。
ねえ、新一。
わたしって・・・新一の、何なの?
やっぱり、ただの幼馴染・・・なの?
蘭は自分の頭の中が、とりとめもない感情でぐるぐるとかき回されているのを感じながらも、それを自分でどうにかすることもできなかった。
心が弱っているときは、どうしても思考がマイナス方向に向かってしまう。
普段は考えないようにしていることや、答えを知りたくないと思っている疑問までが、波のように心の中に去来する。
もう自分では、それをとめることができない。
とめることができる、唯一の人は・・・いったい今ごろ、どこにいるというのだろうか。
「・・・しんいち・・・」
ぼんやりと、その名前を呼んでみる。声に出すことができたのかどうかもわからない。
新一。
今あなたに会えたなら、言いたいことも聞きたいことも、きっと素直に全部、口にすることができるだろうに。
それをさせてくれない新一が、少し、憎らしいよ・・・。
そのとき。
蘭は朦朧とした意識の中で、すぐそばに誰かの気配を感じた。
いったい、誰だろう・・・と、ゆっくりと瞼を開こうとする。だが蘭のその行為は、その「誰か」によって阻まれてしまった。
その人の大きな手が、蘭の視界を閉ざすかのように、顔の上半分にそっとあてがわれたのだ。
うっすらと感じる、その手の平のあたたかなぬくもり。
誰・・・?
その問いに答えるかのように、その人が蘭の名前を呼ぶ。
「・・・蘭」
これは、きっと夢だと思った。
そうでなければ、空耳だと思った。
だって、あなたが、こんなところにいるはずがないから。
「・・・しんいち・・・?」
「・・・大丈夫か?蘭・・・」
心配そうに問い掛けてくる声は、やっぱり新一の声。
でも、あなたは、ここにいるはずがない。
だからやっぱり、夢なのだと思った。
でも、夢でもいい。
たとえ夢でもいいから、声が聞きたい。顔が見たい。
「・・・新一・・・手、どけてよ。顔が見えないよ・・・」
「いいから、おとなしく寝てろ。まだ熱あるじゃねえか・・・」
「でも・・・」
「オレの顔ぐらい、熱が下がったらいくらでも拝ませてやるよ。だから・・・ゆっくり休め」
夢の中の新一の声は、やっぱり夢だからだろうか・・・いつもの何倍も何倍も、優しかった。
そして、やはり夢だからだろうか・・・蘭も、いつもでは考えられないくらい、気持ちを素直に言葉にすることができる。
「新一・・・ごめんね・・・」
「・・・何が?」
「子供みたいに、駄々こねて・・・ワガママ、言って・・・」
「バーロ。あんなもん、ワガママのうちにも入らねーよ」
蘭の言葉に、新一がくすっと笑う気配がした。・・・とてもとても、優しい響きで。
たったそれだけのことで、蘭の気持ちがすうっと軽くなる。
重石のようにのしかかっていた嫌な感情も、情けない思いも、すべてが綺麗に流されていく。
あんなに息が苦しくて、頭が痛くて、身体全体が悲鳴をあげるほど辛かったはずなのに・・・それさえも、感じなくなっている。
そして、そんな夢が嬉しくて。
優しい新一に、甘えてみたくなった。
夢だからきっと新一は、蘭の望むことを言ってくれるような気がして。
「新一・・・」
「・・・何だよ」
「新一って、わたしのこと、どう思ってるの・・・?」
一瞬、新一が息を飲む気配。
そして数秒後、小さな小さな声が、蘭の耳に届く。
「・・・好き・・・だよ」
いいなあ、夢って。
言ってほしいことを、ちゃんと言ってくれるんだもん。
聞きたい言葉が、ちゃんと聞かせてもらえるんだもん・・・。
もう一度その言葉が聞きたくて、蘭は目を閉じたまま、懇願する。
「・・・もう一回、言って」
大好きな新一の声が、ますます小さくなって・・・それでも、蘭の望む言葉を紡いでくれる。
「好き、だよ」
「・・・もう一回」
「好きだ」
「・・・もう、一回・・・」
「蘭が、好きだ・・・」
「・・・も」
「いい加減にしとけよ・・・」
いいじゃない、夢なんだから。
けち。
新一が「好き」って言ってくれるだけで、夢だとわかっていても、こんなに幸せなんだから。
あまりにも幸せな気持ちになれたからだろうか。
それとも、ちゃんと謝ることができて、心が軽くなったからだろうか。
心地よい眠気が、蘭を襲う。
夢の中だというのに、さらに「眠気」を感じるというのも、おかしな話なのだが。
優しい、新一の声。
額に感じる、大きな手のぬくもり。
・・・それに包まれながら、蘭の意識はどんどん遠ざかっていく。
ねえ、新一・・・。
こんなに幸せな気持ちになれるなら、四六時中、好きっていってほしい。
だから・・・また、夢の中に連れて行ってね・・・?
そして、ようやく蘭は、安らかな眠りに落ちていった・・・。
※※
「・・・ほんまに、これでよかったんやな?」
「・・・ああ」
コナンの声は、沈痛で・・・その弱々しさに、隣に立つ平次は眉間に皺を寄せた。
「多分、朝起きたら・・・全部、夢だったと思ってるだろうから、な」
「けどまさか、手ぇ貸してくれて言われて、ほんまに「手」だけ貸すことになるとは思わなんだで」
「・・・悪かったな、服部。こんな夜中に呼び出しちまって・・・」
コナンが蘭のためにできること・・・それは、蘭に新一の存在を感じさせてやることしかなかった。
声だけなら、なんとかなる。
だが、その存在を信じさせるには・・・この小さな身体では、無理だとわかっていた。
この小さな手で蘭に触れてしまえば、その瞬間に、その場にいるのは「新一」ではなく「コナン」になる。蘭が望んでいる存在では、なくなってしまう。
だから、その「手」の代役を・・・蘭に触れて、蘭に新一を感じさせる「手」の代わりを、平次に、頼んだのだ。
待合室で仮眠をとっている小五郎や園子のそばを、起さないように気をつけながらすり抜け、二人は静かに病院の外に出た。
いつもは饒舌な平次が、今日はほとんど喋らずにいてくれる。
・・・それがコナンには、ありがたかった。
そして、「ほな帰るわ」と一言だけ言い置いて、平次はコナンから離れ、真夜中の静寂の中をバイクのエンジン音を轟かせて帰っていった。
彼のことだから、コナンの心情を察して、そうそうに一人にしてくれたのだろう。
間違いなく蘭が望んでいる存在でありながら、決してその存在を示すことのできない、コナンの悔しさを・・・熱に浮かされる最愛の人に触れることすらできず、その役目を他の男に任せざるを得なかったことへの、激しい自責の念を・・・察してくれて。
「・・・ちきしょ・・・」
平次のバイクのエンジン音が聞こえなくなってから、コナンは知らず、うめいていた。
病室で平次の手が蘭に触れたとき、それが自分の頼んだことであったにもかかわらず、コナンは醜い嫉妬心が胸の中で渦巻くのを感じずにはいられなかった。
蘭に、他の男の手を触れさせるなどと・・・絶対に、させたくなかったというのに。
そして、平次の手のぬくもりを感じて、安心したように眠りに落ちた蘭・・・。
本当ならば、それは、自分がすべきことなのだったというのに。・・・いや、自分だけが、できることだと思っていたというのに。
なのに、それができない。他人の手に、委ねるしかない。
・・・こんな、小さな手では。
「ちきしょう・・・」
もう一度、低く低くうめいて、コナンは自分の小さな手を固く握り締め、病院の白い外壁を殴りつけた。
鈍い音とともに、コナンの拳に熱い痛みが走る。
何度も、何度も・・・その拳に血が滲んでもなお、コナンは壁を殴りつづけていた。
この手。
小さな、子供の手。
蘭を、安心させてやることさえできない、何の役にも立たない、情けない・・・手。
もう決して、蘭を他の男の手に任せたりしたくはなかった。
もう二度と、他の男のぬくもりに安心する蘭の顔など、見たくなかった。
・・・かならず、取り戻してやる。
本来の、自分を。
この拳の、痛みに誓って。
※※
翌朝、蘭の熱は嘘のように下がっていた。
目覚めた蘭は、枕元に小五郎とコナンがいることにまず驚き、次いでここが病院であり、自分が運び込まれていることにびっくりしているようだった。
「・・・えっ!?わたし、川に落ちたのっ!?」
事情を聞かされて、素っ頓狂な声を上げる蘭に、コナンは内心で苦笑した。
あれほど周囲に心配かけまくっておいて・・・本人は目が覚めたら、ずいぶんとすっきりした顔をしているのだから。
「落ちたの・・・て、あんた、そこからして覚えてないってわけね・・・?」
同じく呆れたように、園子が目を細めて蘭に人差し指を突き立てる。
蘭は「・・・そう言えば、自転車のおじさんとぶつかって、そんなことになってたような気も・・・」などと、他人事のように言ってくれるのだった。
「それにしても、なんだか晴れやかな顔してるわね。昨日までけっこうへこんでたくせに」
「・・・そ、そうかな」
「何よ。いい夢でも見たの?」
「え、うーん・・・」
夢、という言葉に、コナンはどきっとする。蘭が昨夜の出来事をどのように認識しているのかが、非常に気になっていた。
高熱で意識が朦朧とした状態だったのは、間違いない。
そんな状態で何を言ってやっても、きちんと記憶に残っていることはないだろう、というのが、コナンの予想だった。
よしんば記憶に残っていたのだとしても、きっと夢だと思っているはずだ。・・・朝になって目を覚ませば、そこには新一の姿など影も形も見当たらないのだから。
そして案の定、
「すごくいい夢を見たような気がするんだけど・・・よく覚えてないのよね」
という蘭の言葉に、安堵を覚えるとともに、わずかの物足りなさも感じてしまう。
熱のせいでいつもの自制心も羞恥心も吹き飛んでいた蘭にせがまれて、何度も自分の想いを口にした。
本当ならば、新一の姿を取り戻して蘭の元に帰ったときにはじめて、言ってやろうと思っていたその言葉。それを、あんな形で口にすることになろうとは。
こんな形で言いたくはなかった。
だから・・・蘭が覚えていないようだとわかって、安堵した。
だが、同時に、初めて口にしたその告白がまるで蘭の記憶に残されていなかったことを、少々物足りなく思ってしまうのだから・・・我ながら、自分の感情のありように矛盾を感じてしまう。
「まあとにかく、今日はゆっくり休んで、東京に戻るのは明日だな」
小五郎の言葉に蘭も頷く。
園子は帝丹高校の集団に戻ることになり、小五郎とコナンも、とりあえず病室を出ることにした。
「・・・あ、コナン君!」
最後に病室を出ようとしたコナンを、蘭がベッドの中から呼び止めた。
どきっとして、一瞬返事が遅れたが、何とか平静を保って蘭の方を振り向く。
「・・・なーに?蘭姉ちゃん」
「その手、どうしたの?」
はっとして、思わず背中に両手を隠す。
昨夜・・・感情にまかせて外壁を殴りつけてしまったせいで、右手の拳にケガを負い、包帯を巻いているのだ。・・・それを、蘭に見咎められてしまった。
「えーと、ちょっと、転んじゃって・・・」
ははは、と笑って誤魔化そうとしたが、蘭はそれを許してくれず、「ちょっと見せなさい!」とコナンを手招きした。
逆らうことができずにしぶしぶ蘭のそばに戻り、椅子によじ登ってその手を蘭のほうに差し出す。蘭はコナンの包帯で巻かれた右手を取って、「もーっ、気をつけなきゃだめじゃない!」と、頬をふくらませた。
「ごめんなさい・・・」
「わたしも橋から落ちちゃったみたいから、コナン君のこと言えないんだけどね」
ふふっ、と楽しそうに笑う蘭。
そんな笑顔を見たのは、随分と久しぶりのような気がして・・・コナンはその眩しさに、わずかに目を細めた。
その笑顔を取り戻させたのが、自分一人の力ではなかったというのは、無性に情けなくはあるのだが。
それでも、こうして蘭の笑顔が見れたことに、ほっとする。
(やっぱ、オメーは笑ってなきゃ、な)
願わくば、その笑顔を二度と曇らせることのないように・・・そして、もし曇ってしまったときには、その曇りを取り除くのが自分であるように・・・。
そんなコナンに、蘭は尚も微笑みかける。
「・・・コナン君の手って、あったかいよね」
「・・・え?」
包帯を巻いたコナンの右手をそっと両手で包み込みながら、蘭はわずかに俯いた。
「・・・昨日見た夢にね、新一が出てきたんだ」
「・・・・・・」
どんな夢だったか、よく覚えていないと言っていたくせに・・・。
コナンは必死に、平静を装う。
「・・・はっきりとは覚えてないんだけど、新一がそばにいて、新一と話をしたような気がするの。でもね・・・」
「・・・でも?」
「うん・・・夢だから、しょうがないんだけど、ね。新一の手が、私の額を撫でてくれたような気がするんだけど・・・その手が、新一じゃなかったような気がして・・・あ、夢なんだから、そんな風に思うのって、変なんだけどね」
「・・・・・・」
「それでね、コナン君の手を握って、思ったんだ。・・・コナン君の手のあったかさって、新一の手と同じぬくもりがするの・・・」
遠くを見るような目でそんなことを言ってから、蘭ははっとしたように顔を赤らめて、「あ、そんなに新一と手をつないだことがあるわけじゃないのよ!」と、慌てたように言った。
そんな蘭の様子に、コナンは何にも言葉が見つからず、ただ黙って俯くしかなかった。
そう、か。
蘭は気付いていたんだ。
あの手が、新一の手ではないということに。
・・・そして正しく、コナンの手を、新一の手と同じモノだと感じてくれている。
それが、何よりも嬉しくて・・・。
きっと今度は、新一の姿で現れてみせるから。
そして今度こそ、オレの手のぬくもりを、感じさせてやるから。
だから・・・もうしばらく、待っていて欲しい。
もう、しばらくだけ・・・。
コナンの心の決意が聞こえたわけでもないだろうに、蘭はコナンの手を握る力をわずかに増して、そして透き通るように、微笑むのだった。
〜fin〜