物心がついたときには、いつもそばにいた。
一緒にいるのが当たり前すぎて、そばに蘭がいないことなんて、考えたこともなかった。
いつの頃からか、自分の想いが恋と呼ばれるものであると気づいたけれども、だからといってオレたちのあり方は何一つ変わらない。
それが恋であろうが何であろうが、オレにとって蘭が一番だということに、何の変わりもないのだから。
当たり前すぎるからこそ、失うまで気付きもしなかった。
一緒にいて、泣いたり笑ったり・・・そんな、なんでもない日常。
ありふれたそんな日々が、どんなに大切なものだったかなんて、なくしてから初めて、気付いた。
そして、蘭の想いも。
・・・あの日から、一日一日が途方もなく長く感じられた。
本当はすぐそばにいることを、伝えられなくて。伝えるわけにはいかなくて。
心の距離は、日に日に離れていくようにさえ感じられた。
蘭のそばにいるのは、自分であって・・・けれど、自分ではなくて。
だからこそ、自分を取り戻すために、ただがむしゃらに走り続けた。
時にはどうしようもない現実に、打ちのめされそうにもなった。
唇をかみ締めて、ただ立ち尽くすしかできないこともあった。
・・・そんなとき、蘭はただ黙って、抱きしめてくれた。
オレをオレだと、知りもしないくせに・・・。
新一兄ちゃん、ひどいよね。
蘭姉ちゃんをずっと待たせて、事件ばっかり追っかけて。
あんな男のことなんて、待ってるの、やめちゃいなよ。
いつまで待っても帰らないオレを思って、一人涙を流す蘭に、たった一度・・・そう、言ったことがある。
蘭を泣かせるくらいなら、蘭の中からオレの存在が消えてしまっても、それでも構わないと・・・一度だけ、そう思ったことがある。
けれど蘭は、ただ、笑ってみせる。・・・見ているこちらが泣きたくなるような、切ない笑顔で。
そして、言うんだ。
新一は、絶対に帰ってくるんだよ?
わたしが信じて待っててあげないと、新一、帰ってくる場所がなくて、かわいそうじゃない?
無理に笑顔なんか作りやがって、そんな顔、させたかったわけじゃないのに。
けれど蘭の言葉に、そして笑顔に、オレは癒されて・・・そして、救われて、守られていた。
ずっと一緒にいたくせに、蘭のこんな強さを、オレはそれまで知らなかった。
蘭がいなければ、最後まで戦えなかった。頑張れなかった。
オレの帰りを、そしてオレの力を、オレ自身よりも蘭の方が信じていてくれた。
戦っていたのは、オレだけじゃない。
オレのそばで、そうと知らずに蘭もまた、戦ってくれていた。
オレのためだと意識もしていないくせに、間違いなくオレのために戦ってくれていた。
オレを信じるという、強い想いを武器に・・・オレがいないという現実と、戦っていたんだ。
だからこそ、今、オレたちはここに辿り着いた。
遠回りしちまったよな。
それでも、その時間は無駄なんかじゃない。
オレは自分の無力さを知り、蘭の強さを知った。
蘭の大切さも、かけがえのなさも、思い知った。
当たり前の日常は決して当たり前なんかじゃなくて、とても幸福な、そして得がたいものなのだと、思い知らされた。
・・・だからこのすれ違いの時間は、けっして無駄なんかじゃない。
伝えたいことは、たくさんある。
待っていてくれた蘭に。
信じていてくれた蘭に。
心からの、ありがとうを伝えたい。
そして、ずっとずっと言えずにいた言葉を。
愛してる。
けど、それだけじゃ足りない。
オレの想いはそんな陳腐な言葉じゃ、とうてい表すことなんてできない。
いや・・・どんなに飾り立てたご立派な言葉でだって、真実を表すことなんてできやしない。
だから、カタチにするしかなくて。
数え切れないくらいのたくさんの想い出と、ほんの少し・・・いや、かなりたくさん、泣かせてしまった涙の数だけ、これからも、一緒にいよう。
遠回りは無駄じゃない。
どんな道を通ったって、オレたちはきっとここに辿り着いただろうけれど。
険しくて辛かった道だって、今にして思えばすべて二人の想い出だから。
それを抱きしめて。
全部ひっくるめて。
・・・これからも、ずっと一緒にいよう・・・。
※※※
「・・・で、これは一体、何のつもりだ・・・?」
青みがかった深い色の瞳に剣呑な光を宿して目をすうっと細め、新一が睨みつけるその先にいるのは、クラスメイトにして蘭の親友でもある、鈴木園子嬢。
だが新一の鋭い眼光は、彼女の心臓をツユほども縮み上がらせたりはしない。
「何って、今年の文化祭の劇の、脚本の原案の一部」
にっこり。
悪びれることなく、新一が鼻先につきつけた原稿用紙を、軽い仕草で回収する。
「去年はファンタジーものだったから、今年は思いっきり現代劇にしようと思って。主人公は高校生名探偵とその恋人、っていう推理劇。どう? おもしろそうでしょ?」
「・・・てめー・・・」
ふるふると、握り締めた拳を震わせる新一。
もちろん園子は、そんなことなどまるでシカトである。
「あら、不満なの? この前のホームルームで、多数決で決まったんだから、今更イヤとは言わせないわよ?」
「・・・オレの休んでるときに、勝手に決めるなっ!」
高校生名探偵と、その恋人が主役の劇。
モデルが誰と誰かだなど、この学校の生徒で気づかないヤツなどいるわけがない。だいいち、「蘭」と本名で名前まで出してあるではないか!(このことに関しては、「まだ役名が決まってないのよ。だから仮によ、仮に!」と言ってはいたが)
しかも園子のこの口ぶりからすると・・・。
「・・・まさかと思うけど・・・オレと蘭にこの役、やらせようっていうんじゃ・・・」
「なーに言ってんのよ! そんなの、あったりまえでしょお!? あんたたち以外に、誰がこんな役をやれるっていうのよ?」
「じょ・・・冗談じゃねえっ! 自分がモデルの劇を自分でやるバカが、どこにいるってんだっ!!」
「あら〜? わたし、新一君がモデルだなんて、言ったかしら〜?」
「言わなくてもバレバレだっ! とにかく、オレはぜってーにやらねーからなっ!」
「ふうん。じゃ、蘭の相手役・・・他の男子に譲るわけね?」
「・・・な・・・っ!?」
「舞台の上でだけとはいえ、蘭とラブシーンを演じられるんだもの。希望者はたくさんいるわよ〜?」
「・・・・・・」
「ま、どっちにするか考えておいてね? 脚本は今週中には完成させるつもりだから」
ひらひらと手を振りながら教室をあとにする園子の後姿を、ぎりっ・・・と歯噛みしながら見送って、新一は大きく深くため息をついた。
(・・・ったく、あの女〜〜〜っ!!)
自分のいないときを狙って、こんな企画を考え出したことといい。
蘭の相手役という餌をちらつかせて、新一を主役に引っ張り込もうとしていることといい。
そして何よりも腹が立つのが。
(・・・オレの心情、何だって園子のやつに、ほとんど正確に読まれなきゃいけねーんだよっ!)
さきほど園子から「脚本の原案」と言って見せられた原稿用紙の、さらりと書かれた言葉の数々を思い出す。
蘭の親友として、新一の悪友として、自分達にとても近いところにいる存在であるとはいえ・・・
(・・・くそーっ! いつかプロポーズするときに使おうと思ってた台詞だったってのに・・・考え直さなきゃいけねーじゃねーかよっ!)
これまでの想いをあらためて伝えるとともに、これからも一緒にいてほしいと、そう、近い将来に告げようと思っていた言葉だったというのに。
そんなとっておきの、大切な言葉を、何が悲しくて「劇の台詞」として「演技」として言わねばならないというのか。
(・・・こうなったら、思いっきり感情込めて言ってやる・・・)
新一がそういう結論に達するだろうということも、もちろん園子の思惑通りなのである。
〜Fin〜