真実の扉 (1)
「工藤君、君は・・・・・・・」
その言葉のあとで。
僕はいったい、彼に何を尋ねようとしていたのだろう・・・。
***
デスクの上に両肘をつき、組んだ指の上に顎を落とす。
そのまま深く深く、長い嘆息を吐き出して、高木は軽く瞼を落とした。
・・・ここ数週間の睡眠時間は、1日平均で3時間程度。自分のアパートに帰ることもままならず、職場の仮眠室や車の中で一夜を明かすことも度々だった。
この慢性的な睡眠不足と疲労のおかげで、魔が差して一瞬でも瞼を下ろしてしまえば、数秒もたたずにあっさりと睡魔に取り付かれる。それを避けるため、最近では極力目を閉じないようにしていたのだが・・・今日ばかりは そんな無駄な努力をしなくても、まったくと言っていいほど彼の上に眠気は襲ってこなかった。
その理由が自分の頭の中にぐるぐると渦巻いている、実にくだらない、ありえるはずのない妄想のせいだということは、高木にもよくわかっているのだが。
「おい、高木! 寝てるんじゃねえ!」
「・・・は、はいぃっ!」
先輩刑事に強く背中を叩かれて、高木は慌ててしゃきんと背筋を伸ばした。
が。
(・・・って、今日は別に、寝ていたわけじゃないんだけどなー・・・)
すぐ横をすり抜けて離れていくその刑事の後姿に向かって内心で呟きつつ、再び長い溜息をこぼす。
そもそも、つい夢の世界に飛んでいってしまいそうになっているのは、なにも彼に限った話ではない。
ここ捜査一課は現在、数週間前に勃発した未曾有の大事件のため、鬼のような忙しさに見舞われているのだ。
高木を叩き起こした先輩刑事も同様で、涙目であくびをこらえながら洗面所へ向かっている。・・・眠気を吹き飛ばすために、顔でも洗ってくるのだろう。
かといって現在進行形で高木を悩ませているのが、その原因となっている「大事件」のことなのかというと、実はそういうわけではない。(・・・などといえば、また先輩刑事の怒声を招いてしまうのだろうけれど・・・。 )
頭の大半を占めているのは、彼が2日前に拾った・・・拾ってしまった、落し物の携帯電話のこと、なのである。
(・・・こんなことなら、見るんじゃなかったな・・・)
いったい何をと聞かれれば、その携帯に残されていたメールを、だ。
***
・・・声を大にして断言しておくが、他人のプライバシーに興味があったとか、単なる好奇心でだとか、そんな理由で携帯の中を覗いたわけではない。
拾った場所が事件現場のすぐそばであったため、犯人の遺留品や事件の証拠品の可能性もあったから、警察官としての職務上、やむを得ずそれを開いたのだ。
そして着信履歴やメールの受信記録の中に、彼も良く見知った名前・・・例えば「毛利蘭」だとか「服部平次」であるとか「阿笠博士」だとか「毛利小五郎」であるとか・・・中には「目暮警部」という名前もあり、 落とされていた場所とも相まって、 高木にもその持ち主におおよその見当がついた。
高木が現場である廃ビルに到着するのと、ちょうど入れ替わるように杯戸病院に向かってしまった、この事件の関係者である工藤新一のものだろう、と。
彼ならば翌朝には事情聴取に応じてくれることになっているのだから、そのときに本人に返すことができる。
そう思ってほっと息をつき、自分の上着のポケットに仕舞おうとして・・・だがそのとき、ふと、「念のため・・・」と、思ってしまったのだ。
いくら蘭や平次や阿笠の名前があり、彼らに共通する「電話やメールのやりとりをしているであろう知り合い」と思われるのが新一しか思い付かなかったのだとしても、それはあくまで高木の知る範疇での話だ。
これが彼のものではない可能性だって、ないわけではない。
だからこれが新一の携帯なのだという確証を得るために・・・それ以上の深い意味は全くなく、開いてしまったのだ。メールの、本文を。
一番最新のものは、蘭からのメールだった。だが、さすがにこれを開くことには躊躇いを覚えた。
新一と蘭が、実際のところはどういう関係なのか、高木とて本人達にはっきりと聞いているわけではない。だが傍から見ているだけでも、あの二人がお互いに想い合っている ことは間違いなかったし・・・そんな二人のメールのやりとりを覗いてしまうのは、かなりどころではなく気が引けたのだ。
だから、それよりもいくつか前のメール・・・新一の友人である(はずの)服部平次からのものを選んで、開いた。・・・男同士のメールであれば、見てしまったことに それほど後ろめたさを感じることもないだろう、という、ただそれだけの理由だった。
だが、平次からのメールの文面を見て、高木は首をかしげた。・・・文章の意味が、よく理解できなかったのだ。
よう、工藤! 調子はどうや?
例の組織の件は、まだ色々とあるみたいやな。
大阪にもアイツらに関係のある施設やら企業やらあったちゅう話で、
うちの親父も忙しそうにしてるわ。
ほんで、あほトキシンの解毒薬はまだできてへんのか?
こればっかりはオレらが手伝えることやないけど、
毛利のねーちゃんかて、はよ元に戻ったお前に会いたいやろし、
灰原のねーちゃんにはしっかり頑張ってもらえや。
ほな、何かあったらまた連絡せえよ!
書き出しの「よう、工藤!」の部分で、ああ、やはりこれは工藤君の携帯だったか・・・と、自分のつけた見当が間違っていなかったことは、わかったのだが・・・。
例の組織・・・というとやはり、高木たちが掛かりきりになっている犯罪組織のことだろう。
あの日、「工藤の代理や!」と大声で主張して無理やり警察に同行していた平次のことだから、彼が新一と組織のことに関して情報をやりとりしている、というのは、わかる。
が、そのあとがよくわからない。
何やら意味のわからない単語があるのはともかくとして・・・言葉の使い方に、何やら違和感を覚えた。
毛利のねーちゃん、と平次が呼んでいるのは、もちろん毛利小五郎の一人娘であり新一とは幼馴染である、毛利蘭のこと。それはわかる。
が、灰原のねーちゃん・・・というと・・・?
(まさか、阿笠博士の家にいる、あの変わった女の子のことか・・・?)
確かにあの子は、見ていて戸惑いを覚えるほどに大人びた言動をする少女だが、まだ小学1年生にすぎない子供に対し、「ねーちゃん」と平次が呼ぶのは、あまりにも不自然だろう。
・・・といっても、同じく小学1年生であるコナンと、まるで兄弟か、ともすれば親友であるかのように親しく付き合っている平次のことだから、そのあたりの感覚が自分とは違うのかもしれないが・・・。
(・・・ああ、いや・・・。僕が知らないだけで、他にも「灰原さん」という女性がいるだけのことかもしれないんだし・・・)
納得できる理由を自分なりに見つけておいて、もう一つの「言葉の違和感」についても考える。
(元に戻った、お前・・・?)
これは、どういう意味なのだろう。
新一が事件を追ってしばらく家にも帰っていなかったことを指しているのであれば、「帰ってきたお前」と言うべきところだと思うのだが・・・。
単に言葉の綾だけのことかとも思うのだが、どうにも引っかかりを覚えてしまい、高木は現場での勤務中だということも忘れ、しばし考え込んでしまった。
これを解決する方法は一つ。
このメールに対する、新一の返信を見てみればいいのである。
・・・自分の中に生じた不可解な疑問を解決してしまいたくて、高木は躊躇いつつも、送信済みメールのフォルダを開いていた。そして、平次宛の送信メールを、読むこととなる。
ああ、言ってなかったか。解毒剤なら完成したぜ。
けど目暮警部の話じゃ、ジンの死体がまだ見つかっていないらしい。
まだ生きていると見るべきだろうな。
あいつがどこに潜んでいるかわからない状況じゃ、
いざというときまではコナンのままでいたほうが、オレも灰原も安全だと思う。
しばらくはこのまま様子を見るつもりだ。
・・・それから、あほトキシンじゃなくて、アポトキシンだっつってるだろっ!
何度も言わせんなっ!
(・・・え・・・?)
一度読んで、
(あれ? 工藤君の携帯だと思ったのに、コナン君のだったのか)
と、自分の早合点で持ち主を勘違いしたのかと思った。
だが、
(・・・あ、いや・・・服部君からのメールには、工藤君の名前があったよな)
と思い直して、二度目、やはり間違いなく「コナン」という単語にぶち当たり、嵐のような混乱に見舞われる。
先ほどの平次のメールと比較しながらもう一度だけ読み返して、そして。
(まさか・・・)
メール画面を開いたままの携帯を手にしたまま、高木の右腕がだらりと肩から下げられた。
そんなことは、ありえないと思う。
常識的に考えて、そんなことが起こるはずがない。荒唐無稽な御伽噺だ。
自分に言い聞かせるように、何度も心中で繰り返す。・・・だが、一度思い至ってしまったその可能性は、どんなに頑張って打ち消そうとしてみても、高木の中から消え去ること はなかった。
・・・ありえない話だと思うのに、「もし、そうだとしたら」と仮定してみれば、これまで不思議に思ってきたさまざまなことに、すべて説明がついてしまうのだ。
元に戻ったら・・・という平次に対し、危険だからコナンのままでいる・・・と答えている、新一。
いつまでたっても、現場に姿を現さなかった、新一。
・・・蘭が浚われたとき、「新一兄ちゃんに知らせてくる」と言い置いたまま、どこかへ行ってしまったコナン。そして、現れた新一。
・・・いや、何よりも。
『コナン君・・・君はいったい、何者なんだい・・・?』
かつて自分は、とても小学生とは思えない大人びた瞳の色をした少年に、そう尋ねたことがある。
そう。
江戸川コナンというあの子供の存在そのものが、何よりも不自然だったのだ。
自分は、その不自然さに気づいていた。だが、その答えを得ることが、ずっとできずにいた。
そしていつしか、答えを求めることを、放棄していた。・・・不自然なものを、不自然なままで受け入れてきた。・・・だが。
(これが、答えなのかい・・・?)
自分が至った結論の途方もなさに、高木は呆然と立ち尽くしていた・・・。