真実の扉 (2)



「なーに、難しい顔してるのよ!」
「う、うわっ!」

 ぽんっと背後から肩を叩かれて、高木は反射的に椅子から飛び上がった。
 ・・・叩いたほうにしてみれば軽い挨拶程度のつもりだったのだろうが、すっかり自分の世界に没頭してため、かなり過剰に反応してしまったらしい。・・・声の主が、目を丸くする。

「・・・そんなにびっくりすること、ないでしょ?」

 勢いよく振り返った視線の先に、呆れたように自分を見下ろす親しい女性の姿を認め、高木は ほーっと長く息を吐き出した。

「佐藤さん・・・驚かさないでくださいよ・・・」
「ご挨拶ねえ。別に気配を消して近づいたわけじゃあるまいし。・・・何をぼーっと考えてたのよ」
「ぼーっとって、・・・・・・あ、いや・・・」

 美和子の言い草に反論しようと、がたりと椅子から立ち上がった高木だったが、「何を」の部分への答えに窮し、結局はもごもごと言葉を濁した。 ・・・さすがに、「コナン君は工藤君だったんじゃないかと考えてたんです」などとは、正直に答えられるわけがない。
 そんな彼の挙動不審さに、美和子は軽く片眉を上げる。

「・・・ホントにどうかしたの? あなた、昨日から少しおかしいわよ?」
「そ、そうですか?」
「疲れてぼーっとしてるってわけでもなさそうだし・・・かといって仕事に身が入っているわけでもないし。何か心配事でもあるの?」
「・・・そういうわけでも、ないんですけど・・・」

 昨日からの心ここにあらずといった状態を、美和子にはしっかり見られていたらしい。
 仕事に身が入っていない、と、さりげなくジャブを打たれてしまったが、反論の余地もありはせず、誤魔化すように苦笑を浮かべるしかなかった。
 が、敵は簡単に誤魔化されてくれるような相手ではない。

「・・・何よ。私にも言えないことなの?」
「・・・いや、その・・・」

 曖昧に言葉を濁すだけの高木に、美和子がずいっと顔を寄せて詰め寄ってくる。
 黒い瞳の奥に剣呑な光が仄見えて、高木はたじたじと後ずさった。
 それをさらに追いかけて、腰に手を当てた美和子が「んー?」と迫ってくる。・・・これ以上逃がすものかとでもいうようにネクタイを軽く引っ張られて、高木の背筋に嫌な汗が流れた。

 彼女の詰問に屈したわけではなかったが、一瞬、「佐藤さんになら、話してみようか・・・」という考えも、浮かばないではなかった。
 だが、昨日、高木の元に携帯を受け取りに来たときの新一の、何ともいえない困ったような表情が脳裏を掠め、かろうじてそれを思いとどまる。
 ・・・美和子を信用しているとかいないとかという問題ではなく、頭の中が整理のできていない状態のままで他の人間の判断を仰いでしまうことが、新一に対して申し訳ないことのような気がしたのだ。

 そうして生まれた、しばしの沈黙。
 やがて美和子が、諦めたように小さく息をついた。

「・・・ま、いいわ」

 詰め寄っていた身体を起こすと、ネクタイを離して踵を返す。そのまま無言で彼の元を離れていこうとする美和子に、高木はつい、声をかけてしまっていた。

「え、さ、佐藤さん・・・?」
「・・・何よ。言う気、ないんでしょ?」
「や、あの・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

 ・・・再度訪れる、沈黙。
 それを破ったのは、今度も美和子のほうだった。軽くため息を吐き出して、呆れ混じりの微笑を浮かべ、高木の肩をぽんと叩く。

「・・・どうせ仕事に身が入らないんだったら、ちょっと付き合いなさい」
「・・・ど、どこへですか?」
「病院」
「病院・・・?」
「・・・そ。事情聴取の続き。・・・蘭さんの、ね」
 


***
 


 工藤新一に恨みを持つ男が、彼をおびき出すために、彼のもっとも大切な人物を人質に杯戸町の廃ビルに立て篭もったのが、2日前の夜のこと。

 ・・・犯人の危険性・凶暴性を何より恐れた新一は、警察の協力を頑なに拒んだ。
 蘭を無事に助け出すためには、新一に一人で来いという犯人の要求をそのまま飲まなければならない。警察の影が少しでもチラつけば、即座に蘭は殺されてしまうだろう・・・という新一の緊迫した 電話の声に、自分たちは何もできなくなった。
 そうして彼は、自らの命が危険に晒されることを承知の上で、たった一人、蘭を救い出すために犯人の元へと向かっていった。

 数時間後、「無事に脱出した」という蘭からの連絡を受けて、自分たちは現場に駆けつけた。
 そこで彼らが見たものは、意識を失った血まみれの蘭を抱きかかえた、同じく全身を朱に染めた新一の姿だった。・・・それだけでも、現場では壮絶な死闘があったのだと容易に想像できて・・・高木は 我知らず、戦慄を覚えていた。

 いくら名探偵と世間でもてはやされ。
 平成のホームズと、日本警察の救世主と、マスコミにも称えられ。
 飛びぬけた頭脳と並外れた推理力を持ち合わせた、警察も一目置く存在なのだとしても。

 ・・・彼はまだ、一介の高校生でしかないというのに・・・。

 かける言葉を失って立ち尽くすだけの高木の視界の中、何者にも触れさせることを拒むかのようにぎゅっと蘭を抱きしめたままで、新一はパトカーで病院へと運ばれていった。
 遠目にも蘭が重傷を負っているのは間違いなく、新一の表情は厳しいものだったが・・・その瞳の奥に宿る光はなぜか穏やかで、満ち足りているようにさえ、高木には感じられた。
 まるでずっと求めていた宝物を、ようやくその手中に納めることができたとでもいうような・・・。

 このときは、思っていたのだ。
 新一は大切な蘭を、怪我を負わせてしまったとはいえ何とか救出することができたという・・・そのことに安堵して、そして満足しているのだろう、と。

 だがその直後に拾ってしまった携帯電話の存在が、高木にもう一つの考えを生じさせていた。

 彼が本当に取り戻したもの・・・それは・・・。
 


***
 


「・・・くん。・・・高木君!」
「あ、は、はいっ!」

 ・・・移動中の車の助手席で、いつの間にかまた自分の考えに没頭していたらしい・・・。
 運転席の美和子に大声で名前を呼ばれ、高木は慌てて顔を上げた。ハンドルを握る美和子の呆れ返ったような視線が痛い。

 美和子の車が向かっている杯戸病院には、事件のもう一人の当事者、もとい被害者である蘭が入院している。
 腹部に銃弾を受けた彼女は、事件後すぐここに運ばれた。
 手術は成功し、容態は安定しているが、しばらくは絶対安静だということだ。ただ、意識はしっかりしているので、医師の許す時間の範囲内であれば、警察の事情聴取 は可能だということだった。
 それを受けて昨日の夕方には、美和子が彼女の話を聞くために彼女の病室を訪れていた。そして今日は、その続き・・・昨日は医師の許可した1時間の範囲内での聴取しかできず、細部の補足や新たな疑問点など、まだ聞かなければならないことがあるとのことで・・・のため、再度 の訪問を約束していたのだという。

 若い女性の病室ということで、蘭の担当は美和子が一人で受け持っている。
 今日も、本来なら彼女が一人で行くことになっていたのだが、仕事に身が入っていない高木に、気分転換させてやろうというつもりだろうか。

「佐藤さん・・・僕、一緒に行ってもいいんですか?」

 意識を別の場所に飛ばしていたことを誤魔化すかのように、高木は引きつった笑みを浮かべつつ美和子の顔色を伺った。
 交差点でダイナミックにハンドルを切りつつ、美和子が軽くため息をつく。

「何言ってるの。あなただって警察官なんだから、蘭さんに会って事件の話を聞くのは仕事のうちでしょ?」
「いや、でも蘭さんはまだベッドから起き上がれない状態なわけですし、僕は遠慮したほうがいいんじゃ・・・」
「あら、どうして?」
「どうして、って、そりゃあ蘭さんは若い女性なんですから、横になっている姿を、刑事とはいえ若い男に見られるのは抵抗があるんじゃ・・・」
「大丈夫なんじゃない? 昨日は工藤君も同席してたけど、蘭さん嫌がってなかったわよ?」
「・・・工藤君と一緒にしないで下さいよ・・・」
「・・・そう?」
「そうですよ。僕は赤の他人ですけど、工藤君は蘭さんの恋人みたいなものなんだし・・・」

 新一の名前が出てきて、高木の心中はざわざわと落ち着かなくなった。
 話題をそらせたつもりが、結局美和子との会話の中に彼を登場させることになってしまった。・・・もっとも、これから事件の当事者に会いにいくというのに、その事件に大きく関わっている新一の話題がまったく出ないのもおかしなことなのだが。

 そして高木の思惑など思いもよらないのであろう、美和子は思い出したように、

「・・・そうそう、工藤君といえば」

 と、まさに話題の中心に、彼を持ってきてくれるのだった。

「・・・工藤君が、何か?」

 動揺を顔に出さないように平静を装いながら、高木は美和子の横顔を盗み見た。

「・・・たいしたものよね、彼」

 心底感心しているというように、美和子が感嘆の息をつく。

「工藤君が、ですか?」
「そりゃ、以前からたいした高校生だとは思っていたけど・・・まさか、あんな大きな組織の犯罪をたった一人で捜査して、暴いてしまうなんてね」
「・・・そうですよね。本職の僕たちにも、できなかったことを・・・」

 それは、高木もしみじみと思っていたことであったので、素直に頷いた。

「彼のお父さんはインターポールやFBIにもパイプがあるって話だし、協力者はいただろうけど、それにしたって・・・」
「・・・そう、ですよね・・・」
「ある意味、怖いくらいの執念だわ。警察の協力も要請しないで、一人であれだけの組織を追い詰めてしまうなんて」
「・・・ええ・・・」
「・・・何が彼を、そこまでさせたのかしらね・・・」
「・・・え?」

 美和子の言葉に頷くことしかできずにいた高木だったが、最後の彼女の呟きのような問いには、思わず顔を上げていた。
 運転中の美和子の視線は、まっすぐに進行方向に向けられている。
 彼女の問いの真意を掴みかねて、高木はまじまじと、その横顔を見つめた。

「佐藤さん・・・?」
「 ・・・だってそうでしょ? 確かに正義感の強い子だと思うけど、それにしたって自分の生活のすべてを放り出して・・・学校にも行かず、家にも帰らないで。彼がそこまでしなければならない理由は、一体なんだったのかしらね」
「・・・・・・」

 高木も、それは考えていた。
 彼は警察官ではなくて、ただの高校生でしかない。自分の生活すべてを犠牲にしてまで、事件を追わなければならない理由などないのだ。
 それが、事件とみたら黙っていられない「探偵根性」の延長線上にあるのだとしても、1年近くもの間、親しい人と会うこともなく、学校を休学し、たった一人、命を危険に晒してまで・・・というのは、考えてみれば かなり異常な事だと思った。

 だからこそ、「工藤君はすごい」と、戦慄を覚えていたのだが・・・。

 美和子のように、その「理由」を考えてはいなかった。
 何が、彼をそうさせたのか。
 なぜ彼は、事件を追っていたのか。

 その答えを、自分は知っているような気がした。
 気がしたが・・・けれどそれが答えだと認めてしまうには、あまりに途方もない「答え」だった。

 彼は・・・・・・・・・「何か」を取り戻すために、戦っていたのだ、と。
 高木は漠然と、そうとだけ結論付けた。
 


***
 


 二人を乗せた美和子の愛車は、杯戸病院の敷地内に滑り込み、外来者用の駐車場の白線の中に、ぴたりとそのボディを納めた。

 あの会話のあと、また何となく訪れてしまった沈黙を払拭できないままに、高木と美和子は車を降りて、蘭の病室に向かった。

 ・・・彼女の病室に立ち入るのは、やはり少々抵抗が残るのだが・・・そういった心理は美和子にはどうも理解してもらえないようだ。
 まあ、入る前に一言断りを入れて、美和子の後ろに控える形をとれば、蘭に不快感を与えずにすむ・・・だ、ろう。

「あ、ここよ」

 すでに集中治療室から一般の病室に移されているとのことで、外科病棟のとある個室の前で、美和子が足を止めた。

 ・・・そのとき。

「ちょっと新一! また口の周り、汚してる!」
「へ?」

 まさに扉を開こうとしていた病室の中から話し声が聞こえてきて、二人は思わず顔を見合わせた。

「・・・工藤君、今日は本庁に来てくれることになってたわよね・・・?」
「え、ええ。約束は、14時だったはずですけど・・・」

 中に聞こえないような小声で言葉を交わしてから、高木は自分の腕時計を確認する。・・・ちょうど13時を少し回ったところだ。
 ということは、新一は警視庁に出向く前に蘭の様子を見に来ている、というところだろうか。
 どうしたものかと顔を見合わせる二人の耳に、さらに中の会話が飛び込んできた。

「もーっ! ほら、こっち向いて。拭いてあげるから」
「・・・ば、バーロっ! 自分で拭くって! ・・・もう子ども扱いすんじゃねーよっ」
「そういう台詞は、綺麗にご飯食べられるようになってからい言いなさいよね。ほらー! ベッドの上にまでこぼして!」
「・・・うっせ」
「お見舞いの人は病室でご飯食べちゃだめなんだからね? 看護婦さんに隠れて食べてるのに、こーんなに証拠 残して・・・。あとで誤魔化さなきゃいけないのは、わたしなんだから」
「あのなあ・・・。オレは、オメーが一人で飯食ってんのがつまんねーかと思って、気を使ってだなあ・・・」
「・・・ここのほうが家に帰るより、警視庁に近いからなんじゃないの? どうせ午後から行かなきゃいけないんでしょ?」
「う・・・ま、まあ、それもないわけじゃねーけど」
「ほらねー? さっさと食べて、行ってきなさいよね」
「・・・・・・」
「・・・何よ」
「・・・んなこと言ってて、ほんとはオレの顔が見れて、嬉しかったんじゃねーの?」
「ば・・・っ! 何言ってんのよっ! 別に新一の顔なんか、見れなくたってっ!」
「その割に、オレがここに入ってきたとき、妙に嬉しそうだったけどなー?」
「それは・・・」
「それは、何だよ?」
「・・・な、何よ新一だってっ! わたしのために来たとか言いながら、ほんとは新一がわたしに会いたかったから来たんじゃないの?」
「お、バレたか」
「・・・・・・・・・え」
「実はそーなんだ。どうしても蘭に会いたくてさ・・・」
「・・・・・・え、え・・・っ」
「・・・・・・・・・なーんてなっ!」
「・・・・っ!!」
「顔、赤いぞー?」
「ば・・・・・ばかばかばかばかーーーっ!!」
「おわっ! こら蘭っ! けが人のくせに足技使ってんじゃねーっ!」

 美和子がそっと、高木の袖を引いた。
 彼女の目が、「行きましょ」と無言で告げているのを読み取って、静かに頷く。そのまま二人で、そっとその場を離れた。

「工藤君が戻ってきて、ほんとによかったわね」
「・・・そう、ですね」

 美和子の言葉に、また頷く。

 声だけで。
 二人の会話だけで。
 ・・・彼らの明るい笑顔までが、目に浮かぶようだった。

 彼がコナンであったとか、そうじゃないとか、そんなことは・・・実は、たいした問題ではないのかもしれない。

 新一はたった一人で、目的のために戦ってきた。
 その目的は、きっと、こんなささやかな日常を取り戻すということで。

 彼はそれを、見事に取り戻した。
 そして彼は、ここにいる。

 ・・・答えはそれだけで、いいではないか。

「蘭さんの事情聴取、どうします?」
「また夕方にでも出直すわ。何時に来るって、約束してたわけじゃないし」
「・・・じゃ、何か食べて帰りますか?」
「いいわよ。実はお腹ぺこぺこだったのよね」
「あ、この前目暮警部に連れていってもらったラーメン屋、美味しかったですよ」
「じゃ、そこにしましょうか」

 何かをふっきったかのような高木の様子に、美和子もにこっと笑みを見せた。
 病棟から外に出れば、明るい日差しが二人の上に降り注ぐ。

 ・・・暖かな陽光が、街に春が近いことを教えてくれていた。

 美和子と並んで歩きながら、高木は、心の中の一つの扉に、かちゃりと鍵をかけていた。
 それはもう二度と、開かれることはないだろう。

 ・・・真実へと続く、その扉。


〜Fin〜


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05/08/01 up

 ・・・何なの、この話・・・(^^; びみょ〜〜・・・(笑)
 って、書いた本人が言っても;;

 ええと、久しぶりに書いたメインの新作なのですが、お話の構想自体はこのサイト開設当時からあったものです。(そのための伏線も、「Restart」の中にちゃんと盛り込んであったのよ〜(笑))
 高木君とコナン君の関係は、ちゃんとした「何か」を書きたいなあと、ずっと前から思ってたので・・・。
 でも当初のネタ帳(というか、むしろメモに走り書き(爆))を見る限り、こんな話じゃなかったはず・・・・・・あ、あれ? いつの間にこんなことにっ(^^;
 なんかこう・・・焦点がぼやけているというか、何が書きたいのかよくわからない話になってしまいましたとさ(汗)