果し状
工藤新一 殿
明日 放課後、第一体育館裏に来られたし。
1年C組 毛利命
「・・・だめだわ、これじゃ」
命は書きかけの白い便箋をくしゃっと丸めると、部屋の隅にあるゴミ箱めがけて勢いよく放り投げた。
・・・が、怒りにまかせたその投球はコントロールが定まらず、丸められた紙屑はゴミ箱を逸れて壁にこつんと当たり、そのまま絨毯の上にてんてんと転がってしまう。立ち上がって捨て直すのも面倒臭くて、そのまま放置することにした。
(・・・こんな手紙貰ったら、警戒して来ないかもしれないわ)
それでは目的を果たせない。
命の目的は彼とじっくり話をすることなのだから、とにかく呼び出しに応じてもらわないことには始まらないのだ。
あらためてまっさらな便箋に向き直り、命はボールペンを走らせた。
工藤新一様
突然のお手紙、失礼いたします。
この度は無事の学校復帰とのこと、お慶び申し上げます。
工藤先輩のことは、以前より蘭先輩からお聞きしており、
これまで直接お話しさせていただいたことはありませんが、
先輩にはとても親近感を覚えております。
工藤先輩と蘭先輩のご関係は存じておりますが、
どうしても確認させていただきたいことがあり、
こうして失礼を承知で手紙を書かせていただきました。
ご迷惑かとは思いますが、できれば直接お会いしてお話したいと思います。
今日の放課後、第一体育館の裏手でお待ちしております。
毛利命
(・・・こんなもんか)
これくらい丁寧に書いておけば、気を悪くすることもないだろう。
その後の話で感情を害してしまうかもしれないが、とにかく来てもらいさえすればこっちのもの。言いたいことを言わせてもらわねば気がすまない。
本音を言えば、先に書いた「果し状」の方を叩き付けてやりたいのだが。
命は書き上げた手紙をきっちりと折りたたむと、飾り気のない白い封筒にそれを押し込んで封をした。
宛名は、「工藤新一様」。
裏に、自分の名前。「毛利命」。
我ながら女の子らしさのかけらもない、実に事務的な封筒と便箋(・・・しかも、縦書き)だなあ、とは思うのだが、まあ、いいだろう。
ラブレターを出すわけじゃあるまいし、相手に「可愛げがない」と思われたって全然構やしないのだ。
命の目的は、彼ときっちり話をつけることなのだから。
そう。
あの、工藤新一とかいう、高校生のくせに名探偵だとちやほやされ、学校中の女子からきゃあきゃあと騒がれている、カッコつけで気障な、ふざけた男と。
※※
そもそも、命が工藤新一を敵視するようになったのは、今年のバレンタインの日にさかのぼる。
命には、ずっと憧れている先輩がいる。
毛利蘭。
空手部の女子主将にして、部内一の実力を誇る、2年生だ。
この高校に入学してそうそうに、何の気なしに見学に行った空手部の練習で、命は初めてその人に会った。
なんて、カッコいい人なんだろう。・・・それが、第一印象。
長い黒髪をポニーテールにまとめ、きっちりと白い道着を身に纏ったその人は、凛とした立ち姿も爽やかで・・・一目で、憧れた。
綺麗な顔立ち。
抜群のプロポーション。
そして、素人目にもはっきりとわかる、技の切れ。
・・・気が付けば、その人だけをずっと目で追っていた。
その人に少しでも近付きたくて、中学のときはろくにスポーツらしきものもしていなかったというのに、そのまま空手部に入部した。
同じように初心者はたくさんいて(・・・半分以上が、命と同じ理由で入部を決めたらしい)、蘭先輩は自分の練習もしなきゃいけないというのに、丁寧に基礎から命たちを指導してくれた。
練習が終わればそれまでの厳しい表情はさっと消えて、代わりに優しくて綺麗で、女である命が見ても惚れ惚れするような笑顔を見せてくれる。・・・同じ部活動に入って近付けば近付くほど、ますます命は蘭先輩が好きになっていった。
別に、命には変な趣味があるとかいうわけではない。
恋愛感情などではなくて、・・・こんな人になりたい、という強い憧れ。
こんな、綺麗で優しくて強くてカッコよくて素敵な女性に、なりたい。そんな風に、強く思ったのだ。
その憧れの人の、意外な一面を見てしまったのが、今から1ヶ月近く前の、バレンタインの日のことだった。
今年のバレンタインデーは土曜日だった。
本命チョコをあげる当てもない命は、同じくバレンタインには興味なし、と豪語する同じクラスの香織とともに、ショッピングに出かけていた。
さすがに年に一度の大イベントだけあって、街には腕を組んだり手をつないだりしたカップルばかり。・・・それを香織と二人、冷めた目で見ながらも、それなりの週末を楽しんで・・・最後にお茶をしてから帰ろうと、最近オープンしたばかりの人気のカフェに入った。
「・・・ねえ、命、あそこにいるの、あんたの先輩じゃないの?」
窓際の席に通されて、メニューとにらめっこしていた命に、テーブルを挟んで向かいに座っていた香織が小声で囁いてきた。
言われるままにそっと背後を振り返れば、2つ離れた席に、憧れの蘭先輩の姿があった。・・・いつも一緒にいる女友達と二人、買物の帰り・・・といった様子である。何の話をしてるのかは聞こえてこなかったが、なんだか楽しそうにおしゃべりしている。
「・・・あんたがいつも話してる、噂の蘭先輩でしょ?あんな綺麗な人なのに、バレンタインに女友達と一緒ってことは・・・彼氏、いないんだねえ」
「ちょっと、やめてよ。蘭先輩のこと、そんな風に言うの」
女の子は噂好き。特に人の恋の噂は大好物だ。
命にしても、誰が誰と付き合っているだとか、誰が誰に告白したとか、振られたとか、そんな話が嫌いなわけではない。・・・ものすごく好き、というわけでもないのだが。
だが、空手部に入部してから10箇月余り。命の蘭先輩に対する憧れは、すでに神格化すらしており、その憧れの人を下世話な噂話のネタにされるのが我慢ならなかったのだ。
・・・もちろん、綺麗で素敵な人だから・・・恋人がいたって、おかしくはないのだろうけれど。
「・・・わたし、挨拶してくる」
部活動で毎日顔を合わせてはいるのだが、結局は他の1年生と横並び。こんな風にプライベートの蘭先輩と話ができるチャンスなんて、滅多にないといっていいだろう。これは、よりいっそうお近づきになれる、またとない機会かもしれない。
注文とりにきたらチョコレートケーキとミルクティーを頼んでおいて、と香織に言い置いて、命は席を立って蘭先輩の席に近付いた。
「・・・それにしても新一君、バレンタインまで女房ほったらかしなんて、頭にくるわよねえ」
「だから、その女房っていうの、やめてよね」
不意に耳に飛び込んできた会話が、なんだか意外なものに感じられて・・・「蘭先輩、偶然ですねっ」と声をかけようとした口の動きが、開いたままで固まった。
そして無意識に、店の真ん中にでんと立っている太い柱の影にさっと身を隠す。
・・・まるで、立ち聞き。香織が席に座ったまま、「あんた、何してんのよ」と呆れたようにこちらを見ている。
だが・・・。
「・・・で、今年はチョコ、どうしたのよ。送ったの?」
「うん・・・一応。今日届いてるかどうか、わかんないけど」
「真さんも大会があるから帰ってこれないみたいしさー。まったく世の中の男どもは、こんないい女を二人もほったらかしにして、何をやってんのかしらね」
「仕方ないよ。新一、忙しいんだもん。・・・最近、電話もかかってこないし・・・」
「電話ないの?メールは?」
「メールも・・・。こっちから送っても、返事が来ないんだ」
「どれくらい?」
「・・・もう3週間くらいかな?」
「3週間も!?・・・何やってんのよ、あの推理バカは!」
「・・・・・・」
蘭先輩は、寂しそうな・・・切なそうな、なんとも表現に困る微妙な表情で、ただ笑っていた。
隠れたりするんじゃなかった。・・・お陰で、すっかり声をかけるタイミングを逃してしまったではないか。
さらに、あまり聞きたくない話まで、聞いてしまった・・・。
それは命が初めて見た、憧れの人の意外な顔だった。
命にとって蘭先輩は、とにかくカッコよくて、優しくて、強くて、凛とした・・・理想の女性だったのだ。その理想の人が、バレンタインに誰かにチョコを送ったらしい、という。
・・・いや、それは、いい。蘭先輩だって女子高生。チョコの一つや二つ、送る相手がいたっておかしくはない。
が、そのチョコを送ったという相手・・・新一とか言う男は、蘭先輩をほったらかしにして、3週間も連絡一つ寄越してこないというのだ。
いったい、何様!?
チョコを送るということは、蘭先輩は当然、その新一とかいう男が好きなのだろう。
一緒にいる友達が蘭先輩のことを「女房」と言っている以上(・・・蘭先輩は否定していたが)、二人は付き合っているのかもしれない。
だが、その男は、こんな素敵な人に想われていながら・・・バレンタインだというのに、蘭先輩を一人にしているというの!?
・・・それが、命の中で、「工藤新一」という男に対する敵意が芽生えた瞬間だった。
あの笑顔の素敵な人に。
こんな寂しそうな顔をさせるなんて・・・許せない。
結局、蘭先輩に声をかけられないままに、命は自分の席に戻った。
「・・・何を立ち聞きしてたのよ」
香織が非難がましく睨んでいる。・・・が、命の心は怒りで一杯で、そんな非難など構っていられない。
「・・・ねえ、香織。新一って名前、聞いたことある?」
「新一?・・・うーん、有名なとこだと、工藤先輩かなあ」
「工藤先輩?誰?それ」
「は?知らないの!?・・・あの帝丹高校一の有名人を!」
帝丹高校一の有名人?・・・工藤、新一?
聞いたことはあるような気がするが、思い出せない。
首をかしげる命に、香織は「・・・そういやあんた、学園祭のとき風邪引いて休んだんだったわね」とため息まじりに呟いた。
「・・・学園祭?」
「そうよ。ほら、2年B組の劇の途中で、殺人事件があったって話、聞いたことない?」
「ああ、それなら聞いた。蘭先輩が主役の劇の途中だった・・・って。見たかったのになあ、蘭先輩の主役・・・」
「あんたの思考って、どこまでも蘭先輩中心なわけね・・・。ま、いいわ。・・・とにかく、その殺人事件をその場で見事に解決したのが、工藤先輩だったのよ」
「解決・・・って、その人、何者なの?」
「テレビとか新聞とかにも、昔よく出てたじゃない。高校生名探偵の、工藤新一よ。警察がお手上げになったような難事件でも、鮮やかに解決してみせるって。・・・確か今、すごい事件を追ってるとかで、ずっと休学してるはずよ」
「休学・・・」
「今の1年生にさ、工藤先輩目的で入学してきた女・・・けっこういるのよ。ま、確かにいい男なのよね。それに去年まではサッカー部に入ってて、1年生なのにエースナンバーよ。顔も良くて頭も良くて、しかもスポーツマン。そりゃ、女にもてなきゃ嘘よねー」
「・・・へー・・・」
「蘭先輩と同じクラスのはずよ。学園祭の劇のとき、蘭先輩の相手役やってたの、工藤先輩だったから」
「・・・なんで休学中なのに、学園祭に出てるのよ」
「さあ。そんなこと知らないわよ。けど、あのときの体育館、大騒ぎだったわよー。私の隣に座ってたコなんて、もう失神しそうになっててさ。・・・なんか、ずっとファンだったみたくて。そこらじゅうから黄色い声がしてて、どっかのアイドルの登場かと思っちゃったわよ」
「・・・・・・」
むかむかむかむか。
命の胸に、ますます面白くない感情が湧き上がる。
香織の話を聞けば聞くほど、蘭先輩の言っていた「新一」という男が、その「工藤新一」とかいう女にモテまくりの高校生探偵とやらのことなのだという確信が強まった。
その男が蘭先輩をほったらかしにしているのは、探偵で、事件を追っているから・・・と、いうことなのだろうか。蘭先輩の友人が言っていた「推理バカ」という言葉を思い出す。
そりゃあ、忙しいのかもしれない。
でも、だからって・・・あんな素敵な人を、ずっとほったらかしにしておいて、いいわけ?
蘭先輩は3週間連絡がないと言っていた。だが、香織の話では、「工藤新一」が休学し始めたのはもっとずっと前のことのようであり、つまりそんなに長い間、蘭先輩はその男が帰ってくるのを待っているってこと?
ますます、許せない、と思った。
顔がよくて頭がよくてスポーツマン?
女にモテて、まるでアイドル?帝丹高校一の有名人?
・・・そんなことを言われていい気になっているから、あんな素敵な人に想われてるっていうのに、それを蔑ろにできるんだわ。
それに、蘭先輩も蘭先輩だ。
蘭先輩ほどに綺麗で、優しくて、素敵な人・・・どんな男でもよりどりみどりのはず。
そんなふざけたいい加減な男に、想いをよせて・・・あんな寂しそうな顔をするなんて、蘭先輩には似合わないのに。
憧れの、理想の蘭先輩が、たかが男のことで心を悩ませたりするなんてっ!
そう思えば思うほど、蘭先輩をそんな状態にしている工藤新一に対する敵意はむくむくと膨れ上がり、命の怒りを増幅させるのだった。
※※
工藤新一に対する命の敵意がさらに増したのは、それから2週間ほどたった頃のことだった。
その日の昼休み、トイレから教室に戻ってくると、クラスの女子がひとかたまりになってなにやら騒いでいる。・・・その中心にいるのは加納友香という女の子で、1年生で一番かわいいと評判のコだ。
命に言わせれば、蘭先輩のほうがよっぽど美人でかわいいと思うのだが。・・・まあ、確かに1年生の中では抜きん出て綺麗な子かもしれない。
その加納さんが、他の女子に囲まれて、その中心で泣いているようだった。
「・・・何かあったの?」
その輪の中には入らずに遠巻きに様子を見ていた香織を捕まえて、事情を聞いた。香織は困惑したように命を見て、小声で耳打ちする。
「・・・加納さん、振られたんだってさ」
「へえ!」
ちょっと驚いて、思わず声が大きくなってしまった。慌てて香織が、「しーっ!」と人差し指を立てる。「ごめんごめん」と小声で謝りながらも、命は意外な思いを禁じえなかった。
なにしろ加納友香と言えば、美人でプライドが高いお嬢様。父親が代議士をやっているとかで、学校の登下校も黒塗りベンツでお出迎え。
その見かけゆえに言い寄る男は数知れず、なのだが、いかんせん理想が高いらしく、これまで彼女に交際を申し込んだ男達は、全員見事に玉砕していた。
命自身は加納さんとそれほど親しくはないのだが、噂好きの女子高生のこと・・・本人に聞かなくとも、そんな話は耳に入ってくる。
その加納さんが、男に振られた。
あんな美人を振った男がいたことにも驚きだが、あのプライドの高い加納さんが自分から男に告白したということのほうが、もっと驚きだった。
ちょっと好奇心を刺激されて、命は香織に小声で尋ねる。
「・・・で、誰なのよ。加納さんを振ったツワモノの男って」
「それがさ、・・・あの、工藤先輩らしいのよ」
「工藤先輩って・・・もしかして、工藤新一っ!?」
「ばか、声がでかいって!」
思わず大声で叫んでしまった命の口を、香織が慌てて塞いだ。
「ご、ごめん・・・つい。・・・で?ほんとなの?」
「らしいわよ。さっき加納さん、2年B組まで押しかけていったんだってさ。・・・自分に自信のある人は、やることが違うわよね」
「・・・でも結局、振られたんでしょ?」
「・・・だってさ。工藤先輩、付き合ってる人がいるって言ったんだって」
「付き合ってる人・・・」
まさか。
まさか・・・蘭先輩のことじゃ、ないでしょうねえっ!?
いやいや、それとも・・・蘭先輩を振って、違う女と付き合ってるって可能性も・・・。
バレンタインの日に知ってしまった蘭先輩の恋心と、同時に芽生えてしまった工藤新一に対する敵意とを思い出し、命はぎゅっと拳を握り締める。
数日前の、大騒ぎ。
あの工藤新一が、ついに復学したという情報が学校中を駆け巡るや否や、どの教室も蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていた。
命のクラスも同様で、特に女子はきゃあきゃあと騒ぎすぎ。・・・命や香織など、どちらかというとあまり「女子高生らしくない」部類に入ってる者を除いて、ミーハーなクラスメイト達はアイドルの追っかけよろしく、工藤先輩、工藤先輩、と休み時間ごとに彼の噂で持ちきりだった。
時には授業中であろうとも、「工藤先輩、サッカーやってるわよっ!」と窓際の席のコが叫べば、どどどっ!と女子が窓に殺到。グラウンドに向かって「工藤先輩ーっ!」と黄色い声援をあげていた。・・・もっとも、それはこのクラスに限ったことではなく、グラウンド側の教室という教室で、同じ現象が起こっていたらしいのだが。
そしてその黄色い声援を送られた工藤新一の方はどうしたかというと、教室の窓から乗り出している女の子達に向かって軽く片手を挙げ、にやっと笑ってみせたりするのだ。・・・その笑顔に、さらに騒ぎはエスカレート。すると今度は彼は人差し指を口元に当て、しーっと、静かにするように合図する。途端にすべての教室が静まり返るという、この現象・・・。
それを他人事のように観察していた命の感想はというと、
(・・・うっわーっ、気障っ!・・・何なの、このカッコつけ男はっ!)
もともと「気に入らない」というフィルター越しに見ているので、どうしても点数が辛くなってしまうのは否めないのだが。
それにしても・・・こんな気障でカッコつけな軽そうな男に恋してるだなんて、蘭先輩ってば、男を見る目がなさるぎるっ!
どんな完璧そうに見える人間でも、どこかに欠点があるものだとは言うけれど、まさか蘭先輩の場合は、男を見る目のなさが欠点だったとは。
そんな数日前のことを思い出し・・・そして目の前で涙を流している加納友香に視線を送る。
確かめたい。
工藤新一が付き合っているというのが、蘭先輩のことなのか、そうじゃないのか。
もしそうなら・・・かなり、ムカツク。
でも、そうでなかったら・・・それはつまり、工藤新一が蘭先輩を振ったということになり、それはそれで、もっとムカツク。
どちらが真実であったにせよ、命にとっては面白くないことに変わりはないのだが、どちらなのかわからないままになっているのは気持ち悪かった。
加納さんの周囲を固めているクラスメイト達は、なんというか・・・プライドの高いお嬢様である加納さんの取り巻きみたいな連中で、あまりお近づきになりたくない面々だった。それでも、真実を知りたいという欲求の方が勝り、命はその集団に近付いた。
「・・・ね、加納さん・・・どうしたの?」
取り巻きの一人にこっそりと聞いてみる。香織からあらかたの事情を聞いてはいたが、情報収集のため、何も知らずに加納さんを心配している振り。
するとそのコは、いかにも「加納さんに同情してます」といった表情で、命に向かってまくし立ててきた。(・・・それが本当に加納さんに同情してのことなのか、それとも加納さんの歓心を買うために同情している振りをしているのかまでは、命は知らない)
「毛利さんも聞いてあげてよ!・・・ひどいのよ、工藤先輩。加納さんを振るなんて・・・女を見る目がなさすぎると思わない!?」
「え・・・う、うん・・・まあ・・・」
「他に付き合ってる人がいるだなんて・・・それがどんな女か知らないけど、加納さんのことよく知りもしないで、すぐに断るなんて!」
「あ・・・そ、そうか・・・もね・・・」
そう思っているのはこのコだけではないのだろう・・・な。
加納さん自身もそう思ってるから、取り巻き連中もそんな風に言うんだろう・・・しかしまあ、自分に自信のある人間というのは、ある意味幸せな人種である。
工藤新一を庇うつもりはこれっぽっちもないが、加納さんを振ったから工藤新一に女を見る目がないかというと・・・そういう問題ではないと思うのだが。むしろ、付き合っている彼女がいるくせに、美人の加納さんに告られた途端に手の平を返すような男のほうが、問題ありだと思うのだけれど・・・。
が、加納さんをはじめとするこの連中は、そうは思っていないらしい。
情報収集のやり方、間違ったかな?・・・と、この集団に近付いてしまったことを後悔している命の前で、当のご本人、加納さんが泣きじゃくりながら口を開いた。
「・・・やめてよ。工藤先輩のこと、悪く言うのは・・・」
「でも、加納さん・・・」
「だって、付き合ってる人がいるんだったら、仕方ないじゃない・・・私が、工藤先輩に告白するのが、遅すぎたのよ・・・」
・・・それはつまり、その人よりも早く告っていれば、絶対に振られなかったという自信があるわけだ。
けっこう、自己陶酔型の人だなあ、加納さんって。悲劇のヒロインになりきってしまっている。命にとって、やはり苦手な部類に属する人だ。
「でも、どんな女なのかしらね、工藤先輩の彼女って」
また別のコが、口を開いた。
そうそう、その話が、一番聞きたかったのだ。・・・ようやく当初の目的を果たせそうで、命は内心でほっと息をついた。これ以上、この連中と会話を続けるのは、けっこう苦痛だと思っていたところだったのだ。
「・・・ねえ、あの人じゃないの?」
「誰?」
「ほら、工藤先輩って、幼馴染の女の子がいるって・・・」
「あ、私も部活の先輩から聞いたことあるわ。確か、学園祭の劇で、工藤先輩の相手役だった人!」
蘭先輩のことだ・・・。
命はごくりと唾を飲む。
「ああ・・・あの人ね。確かに綺麗な人だったけど・・・加納さんのほうが美人じゃない?」
「そうよねえ。あの程度の人だったら、加納さんのほうが・・・」
な・・・なんですってええっ!
・・・と、叫びそうになるのを、命はなんとか必死にこらえた。が、この連中の言葉に、身体中が沸騰するほどの怒りを覚え、ぎゅうっと拳を握り締める。
あの程度の人、だって!?
蘭先輩のこと、これっぽっちも知らないくせに、「あの程度」呼ばわりするなんて・・・許せない!
そりゃ確かに、加納さんは美人だ。綺麗な人だ。・・・だが、蘭先輩の魅力は、そんなものじゃないのだ。
こんなプライドの高い、自己陶酔型のわがままなお嬢様なんかと、比べることすら、間違っている。
綺麗で、強くて、カッコよくて、でも決してそれを鼻にかけたりせずに、誰にだって優しくて・・・こんな素敵は人が、他にどこにいるというのだ。そりゃ、男を見る目がないという欠点はあるが、それは加納さんだって同じじゃないか。
そうして、内心の怒りを表に出さないように懸命に自分の心を押さえている命の前で、さらに彼女の怒りに油を注ぐような台詞を、当の加納さんが口にした。
「・・・いいわね、幼馴染って。単に子供の頃から一緒だったってだけで・・・何の努力もしなくても、一番近くにいられるんだもの・・・」
ぶち。
命の中で何かが、切れた。
何の、努力もなしに・・・だと?
あんたは、蘭先輩の、何を知ってるっていうのさ!
・・・蘭先輩のあの寂しそうな顔を・・・見たことが、あるっての!?
そりゃ、プライドの高いあんたのことだもの、自分が振られたことに、正当な理由をつけなきゃいられないんでしょうね。
でも、だからって・・・蘭先輩を、そんな風に言うなんて。
「・・・加納さん・・・悪いけど、蘭先輩とあなたを比べて蘭先輩を選んだっていうんなら、工藤新一って、女を見る目、あると思うわよ」
命の言葉に、その場にいた全員がさっと顔色を変える。
が、もうこんな連中と会話を続けることが不快以外の何者でもなかった命は、じろりとその連中を睨み渡すと、くるりと背を向けて教室を出た。
ほんとに、頭にきていた。
何も知らないで・・・何も、知らないくせにっ!
・・・といっても、命自身、どのくらい蘭先輩のことを知っているのかと言われると・・・それはそれで、困ってしまうのではあるが。だが、あんな言い方は許せなかったのだ。
偶然見かけたバレンタインの日に・・・「3週間も連絡がない」と寂しそうに笑っていた蘭先輩。
その相手の男に対する怒りはもちろん大有りなのだが、そんなどうしようもない男をじっと待っている蘭先輩のことを、「何の努力もしないで」なんて。
じゃああんたは、工藤新一が休学していた間、何をやってたわけ?
戻ってくるなり即、告りにいってたみたいけど、さらにそれを「遅かった」って言ってるけど、じゃああんたは、蘭先輩みたいに、工藤新一の帰りを、切ない思いをかかえたままでずっと待ってたっていうのか!?
ずかずかずか・・・怒りにまかせて、命はかなり大股で、廊下を突き進んでいた。
蘭先輩に確かめよう。
ほんとに、工藤新一と付き合っているのか。
そして、もし違っていたら・・・あんな連中に根も葉もないことを言わせておくなんて我慢ならないから、「蘭先輩は工藤新一なんて相手にもしてないわよ、残念だったわね!」と、あいつらに教えてやろう。
そして・・・もし、本当に、蘭先輩が工藤新一と付き合っていたなら・・・そのときは。
工藤新一に、文句言ってやる。
蘭先輩を・・・あんなに素敵な人を、あんなに優しい人を、蔑ろにするなんて、この私が許さないんだから!
だいたいあんたがしっかりと蘭先輩を守ってないから、あんな連中に蘭先輩が中傷されることになるのよ!
・・・と、そう、言ってやるんだ。
決意を固め、命はずんずんと廊下を突き進み、蘭先輩のクラス・・・2年B組にまでやってきた。
教室の入り口でたむろっている生徒を捕まえて、「空手部の1年生ですけど、毛利先輩お願いします」と取次ぎを頼む。するとその生徒は、「ああ、蘭なら風邪こじらせて、1週間くらい休んでるわよ?」と教えてくれた。
1週間も!?・・・全然、知らなかった。
期末テストが近いから、部活動が休みになっていたので・・・そんなこと、知りもしなかったのだ。
せっかく固めてきた決意が空振りに終わり、命は肩を落として回れ右するしかなかった。
・・・そんな彼女の耳に、教室の中から愉しそうな声が聞こえてくる。
「工藤、おまえちゃんと毎日、奥さんの見舞いに行ってんのかよ?」
「しっかり看病してやれよー」
「あら、新一君はちゃんと毎日蘭のとこに顔だしてるわよねー?・・・何をどこまでしてるのかは知らないけど?」
「うっせーぞ、園子っ!」
「なんだなんだ?毎日、何しに行ってんだー?」
「そんなの聞くのは、やぼってものでしょ?」
「お・れ・は、眠いんだっ!寝かせろ!」
「・・・その睡眠不足の原因は、蘭だったりして〜」
「事件だっ!!」
「あやしいもんだな〜」
・・・その会話の中に、バレンタインの日に蘭先輩と一緒にいた人が混ざっている。
確認するまでもなく、その会話で・・・工藤新一の「彼女」は、蘭先輩なのだということがわかってしまった。
そして命は心に決める。
工藤新一と、きっちり話をつけてやる。
教室の中を廊下から覗き込み、不機嫌そうな顔をしている工藤新一という人物を、心の中に刻み込んだ。・・・決して、その顔を忘れないように。
その日自宅に帰ってから、命は明日から始まるテストの勉強もそこそこに、工藤新一に対する「呼出状」を書くのだった。