おさななじみ(1)




「らーーーーんっ!!」

 今朝もまた2年C組の教室に入るなり、蘭はいつものように大きな声で名前を呼ばれた。
 声の主は、顔を見なくてもわかる。クラスメイトのともちゃんだ。
 親友の園子とクラスが離れてしまった今年、同じクラスで一緒に行動することが多い女の子。・・・といっても、蘭のほうはクラスの誰とでも、けっこう仲良く付き合っているので、ともちゃんだけがお友達、というわけでは、もちろんない。

「おはよう、ともちゃん!」

 カバンを自分のロッカーに片付けながら、蘭は自分のほうへと駆け寄ってくるともちゃんに笑いかけた。

「ねえねえ、数学の宿題、やってきた?」
「一応ね」
「さっすが蘭!ねえ、見せて見せて!」

 悪びれることなくそんなことを言ってくるともちゃんに、思わず苦笑が漏れる。
 悪い子ではないのだけれど・・・毎日だとさすがに、どうなんだろう、と思ってしまったり。

 ・・・こんなところが、ともちゃんが他の女子から嫌われてる、理由の一つなのかもしれない・・・。

 数学のノートをカバンから引っ張り出してともちゃんに渡しながら、蘭は心の片隅で、そんなことを思ったりしていた。

 そう。
 ともちゃんはこのクラスに、蘭以外には友達がいない。
 1年生の時には同じクラスに誰も友達がいなくて・・・苛められっ子というわけでもないのだが、いつも一人でぽつんと教室の片隅に座っているような子だったらしい。
 クラス替えのとき、蘭は担任の先生に、こっそりそんなことを教えてもらっていた。

『・・・毛利さんを見込んで、彼女のこと・・・お願いできないかしら』

 明るくて優しくて面倒見のよい蘭は、学年の先生たちの間でもかなり評判のよい生徒だった。
 クラス替えを行う際、その学年の先生たちは何度も会議を行って、問題のある生徒や友達の少ない生徒、苛められやすい生徒については特に配慮し、同じクラスにしたほうがいい生徒、離したほうがいい生徒などを吟味するのだという。
 そしてそれぞれのクラスには、クラスのリーダーになれるようなしっかりとした生徒を必ず2、3人ずつ入れるようにして、問題のある生徒のフォローを任せるのだ。
 今年、2年C組の女子については、ともちゃんのフォローを蘭に任せる、というのが、他の生徒たちには知らされていない教師たちの思惑だったらしい。
 1年生のときは違うクラスだった蘭は、ともちゃんに対しての悪い先入観がなかった。
 なので、4月のはじめに担任教師にお願いされたことに対しても、何も考えずに素直に「わかりました」と答えていた。
 クラスの班割りのときも、遠足のグループ分けのときも、それとなくともちゃんに声をかけ、「一緒にならない?」と誘ったりもした。
 すると、もともと友達のいなかったともちゃんは、それがよほど嬉しかったのかすぐに蘭に懐いてしまい、朝の始業前から毎休み時間、お昼休みに放課後まで、べったりと蘭 にくっついて離れようとしなくなったのである。

『・・・蘭、あんまりともちゃんに構うの、やめたほうがいいよ』

 小学校のときからの友達で、今年久しぶりに同じクラスになった弥生ちゃんが、ともちゃんのいない隙にこっそりと蘭に耳打ちした。
 弥生ちゃんは1年生のとき、ともちゃんと同じクラスだったのだ。

『・・・何で?』
『何でって・・・蘭のほうが、疲れるわよ』
『疲れるって・・・』
『あの子の友達付き合いってさ、狭ーく深ーく、なんだよね。一回「この人は友達」って思い込んだら・・・年がら年中、まとわりついてくるわよ』
 
 言われたときには、そう深く考えてはいなかったのだが・・・今にしてみれば、彼女の言っていたことが、なんとなくわかる。
 疲れる、というほどのことはないのだが、「ともちゃん、私以外の人とも仲良くすればいいのにな」と思うことは、多々あるのだ。

 そして仲良くなればなるほど・・・ともちゃんは、何というか、だんだん図々しく、なっていった。
 友達なんだから、それくらいしてくれたって、当たり前でしょ?・・・という態度が、ちらほらと見られるようになっていったのだ。
 例えば今朝のように、自分が宿題をやってこなかったら、見せてもらうのは当たり前、という態度。 ・・・というより、はじめっから蘭を当てにしていて、宿題をしようともしない。
 蘭だって、空手部の練習で疲れている中、眠いのを我慢してやっ てきたのだ。それを、さも当然、といった顔でノートを借りにこられると、さすがの蘭でもちょっとカチンときてしまう。

『・・・自分でやらないと、身につかないよ?』

 なんて優等生のようなこと、言いたくはないのだけれど・・・。
 だが、そんなことを思ってしまうたびに、蘭は担任の先生から「彼女のこと、お願いね」と頼まれたことを思い出して、結局は口をつぐんでしまうのだ。

 ともちゃんは、他人との距離をうまく取れない子なのだ、と聞かされていた。
 近づきすぎるか、遠ざけすぎるか、そのどちらか。・・・ほどほどのお付き合い、というものが、できないらしい。

『・・・その点、毛利さんは、うまく人付き合いのできる子だから。あなたと一緒にいることで、あなたのそんなところを彼女が学んでくれないかな、と思うのよ』

 そんなのは、先生の買いかぶりだと思う。蘭は別段、友達と付き合うときに、その人との距離を考えたりしたことなど、ないのだから。

 けれど、先生にそうやって頼りにされてしまったら、頑張らなきゃいけないと思ってしまう。
 ともちゃんだって、決して悪い子じゃない。嫌いじゃない。
 先生の言うように、人との付き合い方がヘタなだけ。・・・仲良くしているうちに、ともちゃんだってわかってくれるようになるかもしれないし。

 今日もともちゃんは、休み時間ごとに蘭にくっついてくる。
 トイレに行くときも、教室を移動するときも、お昼ご飯を食べるときも・・・。



※※



 お昼休みが終わり、次の5限目は理科の授業。今日は実験があるから、理科室へ移動しなければならない。
 教科書や資料集などを胸に抱え、蘭は2年C組の教室を出て、第2校舎にある理科室へと廊下を早足で歩いていた。 蘭の隣には、当然のようにともちゃんがべったりとくっついて、歩いている。

 気のせいだろうか。
 最近、ともちゃん以外のクラスメイトと、休み時間などに、ほとんど話をしていないような気がする。
 蘭が話しかけたからといって、それを無視するような人はクラスにはいない。みんな、当たり前のように親しく話すことができるのに。
 それが・・・ともちゃんと一緒にいるだけで、なぜか敬遠されてしまうのだ。
 それが最近、ちょっとだけ辛い。

 1年生の頃は、クラスの女子は誰でもみんな仲良くて、移動教室のときにはみんなで固まって動いていたっけ。園子も同じクラスで、他にも何人も一緒に、わいわいと騒ぎながら。

 でもともちゃんは、そんな「わいわい」が好きじゃない。
 一度、「みんなで一緒に行こうよ」と言ってみたのだが、「他の人と一緒なんて、うるさくて嫌よ!二人でいけばいいじゃない」と言われてしまった。
 ともちゃんの友達付き合いは、深くて狭い。・・・そう弥生ちゃんが言っていたが、その通りなんだな、と改めて思ってしまう。
 何度も言うが、蘭はともちゃんのことが、嫌いなわけではない。むしろ、友達でいたいと思っているし・・・これからも、仲良くしていかなきゃ、と思っている。

 けれど・・・。

「・・・だからぁ、先週の授業のとき、山本先生に頼まれてたじゃない!」

 ふと、ともちゃんのものではない、甲高い怒鳴り声が、蘭の耳に届いた。
 それが聞き覚えのある声であったので、蘭は思わず足を止め、声の聞こえてきたほうを振り返っていた。

「・・・どうかしたの?蘭」

 突然立ち止まった蘭を不審に思ったのか、ともちゃんも立ち止まり、軽く眉を寄せて聞いてきた。・・・それには応えず、蘭は耳を澄ませて声の主を探す。
 理科室へ行くには階段のそばを通り過ぎて、廊下をそのまま直進しなければならないのだが、声はその階段の下から聞こえてくる。
 下の階にいる人の話し声が、こんなにはっきりとここまで聞こえてくるなんて。よほど頭にきたことがあって、人目も忘れて怒鳴っているらしい。
 声の主に心当たりのある蘭は、小さく苦笑をもらしていた。

「・・・とにかく、チャイムが鳴るまでに資料全部運んでおかないと、アンタだけじゃなくてわたしまで怒られるんだからねっ!」

 またまた聞こえる怒鳴り声。・・・園子の声に、間違いなかった。・・・とすると、その怒鳴り声を浴びせられている相手は・・・。

「・・・知らねーよ、んな話・・・」

 これまた聞き覚えのありすぎる、不貞腐れたような声。
 園子の声ほど大きく響いてはこなかったが、声の主の不機嫌な感情が伝わってきて、これまた蘭はくすっと笑ってしまっていた。

「どうせ授業中、寝てたくせに!」
「・・・何で知ってんだよ」
「イビキが聞こえてきたからに決まってるでしょ」
「嘘付けっ」

 ぱたぱたと急ぎ足に階段を駆け上がってくる足音と一緒に、どんどん大きくなってくる、やいのやいのと遣り合っている声。
 蘭はなぜだか、とても懐かしい気分に襲われて・・・その場から動けなくなっていた。
 そんな彼女と、不審そうにそのそばに立つともちゃんの視界の中、階段の下の踊り場に、二つの人影が現れる。

「あれ?蘭じゃない!」

 現れた二人のうちの女の子の方が、階段の上に立ち尽くす蘭の姿を見つけるなり、嬉しそうに手を振ってきた。
 そして男の子の方はというと・・・どうやら荷物持ちをさせられているのだろう、授業で使う社会科の資料を両手いっぱいに抱え込んでいる。彼も蘭の姿を認めると、「よお!」といつものように笑いかけてきた。

 この二人とは、1年生のときは、同じクラスだった。
 今年は・・・蘭だけがC組で、二人はA組。

「園子・・・新一・・・」
「C組、教室移動なの?」

 荷物を新一に持たせているためか、一人身軽に階段を駆け上がってくる園子。新一はその後姿を恨めしそうに睨みつけながら、荷物を落とさないように慎重にその後を上ってきた。

「うん、そう。理科室なんだ。A組は、社会なの?」
「そうなのよー。今日の日直、私と新一君だからさ、資料室まで資料を取りに行ってたの。ほんとはもっと早くに行けばよかったのに、新一君たら資料を用意しなきゃいけないってことわかってなくて、昼休み中グラウンドでサッカーやってんのよ!信じられないと思わない!?日直の自覚なさすぎよね!」
「・・・うっせーな・・・。だいたいオメーも日直だっつーんなら、少しは持てよ、この荷物・・・」
「あら、そんな重たい資料、レディに持たせようっての?」
「だ・れ・が!レディだっ!」
「わたしに決まってるでしょ?」

 相変わらずの二人のやり取りに、蘭は思わずぷっと吹き出していた。
 1年生のときは、本当に毎日がこんな感じで。・・・久しぶりに訪れた懐かしい時間・・・だがそのことに、何故だかわずかに胸がちくっと痛むのを感じた。

「・・・何、笑ってんだよ」

 不貞腐れてちょっと赤い顔をした新一が、軽く蘭を睨んでくる。
 それに対して、何か言い返そうと口を開きかけた蘭だったのだが・・・隣から腕を強く引っ張られて、その言葉を飲み込んだ。

「・・・ちょっと、蘭、早く行こうよ!」

 見ればともちゃんが、見るからに不機嫌そうな顔をして蘭の腕を掴んでいた。・・・さらに、なぜか新一と園子のほうに、敵意をむき出しにした視線を送っている。
 ほとんど面識のないはずのともちゃんから、まるで威嚇されるように睨まれてしまった新一と園子は、戸惑ったように顔を見合わせた。

「ともちゃん・・・?」
「授業、遅れるでしょっ!こんなとこで立ち話してる場合じゃないわよ!」
「え、あ、うん・・・」

 確かに、5限目のチャイムが鳴るまであとわずか、のんびりと立ち話をしている場合ではない。
 だけど・・・。

 ともちゃんの言葉に、こちらは、はっとしたように園子が新一の腕を突いた。

「やっば!山本先生、1分遅れただけでも、うるさいんだから!行くわよ、新一君っ!・・・じゃ、蘭、またねっ!」
「あ、うん・・・」

 園子に促されて、不機嫌な顔のままの新一も「ああ」と頷いて教室へと歩き出す。
 蘭も、ともちゃんに腕をとられたままで、半分引きずられるように理科室へと足を向けた。・・・後ろ髪を引かれるような思いを、拭い去ることができないままに。

 ぱたぱたと、早足で理科室へと向かいながら・・・蘭はなおも、そこから立ち去りがたい気持ちのままに、背後にちらりと視線を送った。
 自分たちの教室へと向かう新一と園子の後姿が、どんどん遠くなってゆく。

 こんな気持ちになるのはおかしいと、わかっているけれど。
 蘭は、自分だけが置いていかれてしまったかのような、奇妙な寂しさが胸の奥に湧き上がってくるのを、感じずにはいられなかった。



※※※



 園子は小学校の頃からの親友で、新一は物心がつく前からずっと一緒だった、幼馴染。

 そんな二人と同じクラスだった1年生のときは、毎日が大騒ぎで、でも毎日が、とても楽しかった。
 いや、今にして思えば、実はあの頃は楽しかったんだな・・・ということに、最近ようやく気付いた、というべきか。
 今日の昼休みに、1年生の頃とまったく変わらずに、ふざけ合って口げんかしている二人にばったり会って、そのことに気付かされた。

 二人の蘭に対する態度は、以前とまるで変わらない。
 ・・・でも。

(わたしだけ・・・一緒に、いられないんだ)

 小学校からずっと同じ学校だったから、これまでだって違うクラスになることは、当たり前のようによくあった。新一と離れてしまうこともあったし、園子とだって、そう。
 今年のように、新一と園子が同じクラスで、蘭だけが離れてしまう、ということだって、珍しいことじゃなかった。
 けれど、こんな気持ちを覚えてしまったのは、初めてのことだった。

 理科室へと向かう蘭。
 自分たちの教室へと戻る、園子と新一。
 二人とは、まったく逆方向に足を向けなければならない自分。・・・楽しそうにじゃれ合いながら(本人たちが聞いたら、二人ともこれ以上はないというくらい、顔をしかめてしまうだろうが)、遠ざかっていってしまう、親友と幼馴染。

 ・・・わたしを、置いていかないで・・・。

 無意識に、心の中で呟いていた。・・・どうして、そんな風に思ってしまうんだろう。

 園子は変わらず、親友で。
 新一も以前のままに、幼馴染で。
 二人が蘭に向けてくれた笑顔も、暖かくて、親しげで。・・・なのに。

 蘭は自分でも理解できない孤独感を持て余しながら、その日の帰途についていた。学生カバンに道着をぶら下げて、とぼとぼと校門をくぐる。
 足取りがなんとなく重いのは、空手部の練習で疲れたからではなく、蘭の気持ちがそのまま反映されているからなのだろう。

 こんな沈んだ気分のときでも、ちゃんと家事はしなきゃいけないから、帰りにスーパーに寄って、お肉と卵とキャベツを買ってこなきゃ・・・などと、下を向いて歩きながら考えていた。
 そんな蘭に、背後から声がかけられる。

「・・・おーい。無視して通り過ぎるなよー」
「え?」

 ぼうっと考え事をしていた蘭は、その声で現実に引き戻され・・・慌てて背後を振り返った。
 見れば、たったいま蘭が通り抜けてきた校門の支柱にもたれ掛かって、腕組みをしてこちらを見ている人影がある。・・・新一だった。

「新一・・・? さっきから、そこに立ってた・・・?」
「・・・あんだよ。見えてなかったのか?」
「あ、うん・・・」

 俯いて歩いていたせいで、回りがまったく見えていなかったようだ。
 誤魔化すように、へへ、と笑うと、新一は不貞腐れたように「・・・ったく」と小さく舌打ちをしてから、門を離れて蘭の隣に並んでくる。

 蘭は空手部で、新一はサッカー部。
 練習が終わる時間は、その日によって違ってくるし、特に新一は練習が終わった後でも一人で居残ってボールを蹴っているようなサッカー馬鹿だから、蘭と帰りの時間が一緒になることなんて、滅多にない。
 朝は朝で、朝錬があったりなかったり・・・これまたバラバラな登校時間になってしまうので、こんなに家が近いのに、二人で一緒に登校することは、最近特に少なくなっていた。

 それでも、偶然、登校時間や下校時間が一緒になれば、こうして並んで帰るのは、よくあることで・・・とりたてて珍しいことではない。

 それなのに。

 ・・・さっきまで、あんなことを考えていたせいだろうか・・・。
 こうして校門の前で新一に会えて、昔のように一緒に帰れることが・・・なぜか、泣きたくなるほど嬉しく思えるなんて・・・。

 わたしを、置いていかないで・・・。

 そんな蘭の声が、聞こえたのだろうか。
 どうしてこんなにタイミングよく、わたしの前に現れてくれるの・・・?
 蘭は何か言おうとして、だがうまく言葉を発することができず、ただ黙って新一の顔をじっと見ていた。

「・・・何か、あったのか?」

 一緒に帰ろ、とも何とも言わなくても、当然のように並んで隣を歩く幼馴染の横顔を見つめながら、言葉を無くしてしまった蘭に・・・新一は、不思議そうに首を傾げた。

「な、何もないわよ!」

 情けない自分の心を見透かされたような気がして、蘭は慌てて首を横に振る。

 そう。何でもないのだ。
 ただちょっと、寂しくなっていただけ。
 新一と園子が、自分だけを置いて遠くへ行ってしまったかのような・・・そんな錯覚を覚えて、自分で勝手にヘコんでいただけ。

 ・・・その証拠に、こうして久しぶりに一緒に帰れるというだけで、新一と並んで歩いているというだけで、さっきまでの孤独感が、嘘のように消えてしまっているのだから。

「・・・久しぶりだね、一緒に帰るの」
「んー、そういや、そうだな」
「2年生になってから、あんまりなかったもんね」
「オレも蘭も、けっこう忙しくなっちまったからな。・・・クラスだって違うし」
「そうだね。・・・楽しい?新しいクラス・・・」
「べつにー。園子が一緒だから、うるせーけど・・・ま、ふつーかな。・・・オメーは?」
「わたし?・・・わたしは・・・」

 楽しいよ・・・?
 そう言おうとして開いた口からは、なぜか音が出てこなかった。

 友達も、いる。
 園子や新一が一緒じゃないからといって、他の友達と楽しい学校生活を送れないような、そんな引っ込み思案な人間じゃ、ないもの。
 空手部の友達だって、同じクラスにいるんだし・・・それに、いつも一緒に行動する、友達だって・・・。

 なのに、どうしても、「楽しいよ」と言えない自分に、蘭はわずかな焦りと、もっとわずかな嫌悪感を覚えた。

 何で? 何で、楽しいよって、言えないの・・・?

 そのまま俯いてしまった蘭に対して、新一は何も言わなかった。ただ黙って、じっと視線を注いでくる。
 その視線が、居心地悪くて・・・蘭はますます俯いて、黙り込んでしまうのだった。

 そのとき。

「・・・蘭!」

 背後から自分を呼ぶ声に、蘭はびくりと肩を震わせた。
 毎日毎日、聞いている声。・・・ゆっくりと振り返ると、思った通り・・・ともちゃんが、手を振りながら、嬉しそうに駆け寄ってくるのが見えた。

「・・・ともちゃん・・・」

 蘭の声に、微かに込められた、戸惑いの色。
 ・・・それに気付いた新一が、意外そうに軽く目を見開き、振り返って立ち止まった蘭と駆け寄ってくるともちゃんとに、交互に視線を向けた。

「よかった! 追いついた!」

 蘭の戸惑いなどまるで気付かないともちゃんは、満面の笑みを浮かべて蘭のそばまで駆け寄ると、抱きつかんばかりにその腕に自分の腕を絡めてきた。
 その仕草に、一瞬蘭の表情が歪んだのを・・・ともちゃんは気付かなかっただろうが、新一には気付かれてしまっただろうか。・・・ほんの、一瞬のことだったのだけれど。

「一緒に帰ろうと思って、空手部の練習が終わるの、待ってたのよ!行き違いで蘭がもう帰っちゃったって聞いて・・・慌てておいかけてきたんだ!」
「・・・待っててくれたんだ・・・」

 こうして慕われるのは、もちろん嫌いじゃない。
 蘭にはすべてを曝け出して、喜怒哀楽のすべてをぶつけてくるともちゃんのことを、愛しいとも思うし、可愛いとも思う。一緒にいて、楽しくないわけでもない。

 けれど。
 朝からずっと、一緒。休み時間も一緒。蘭は空手部でともちゃんは部活動に入っていないから、放課後はそれぞれの生活があるはずなのに・・・それにさえも、こうして食い込んでこようとする、ともちゃん・・・。

 ふと、ともちゃんが、ようやくその存在に気付いたかのように、蘭の隣に立つ新一に視線を移した。

「・・・蘭の彼氏?」

 不躾な、値踏みするようなその言い方に、新一の表情がむっとしたものになる。

「・・・あんたに、関係ねーだろ」

 その、否定でも肯定でもない返答に、今度はともちゃんがむっとしたような顔になり・・・今度は同じ質問を、蘭にぶつけてきた。

「蘭、彼氏いたの?」

 どうして、わたしに教えてくれなかったのよ!・・・という言外の意味まで伝わってくるその迫力ある詰問に、蘭は慌てて首を横に振った。

「違うわよ!・・・新一は、ただの幼馴染!」
「ふうん。ただの幼馴染なのに、二人っきりで一緒に帰ったりするんだ」
「それは・・・たまたま、校門のとこで一緒になったし・・・帰る方向が同じだから・・・」

 必死になって否定しながら、蘭はちらりと新一の顔を盗み見る。・・・相変わらずむっとした表情を隠そうともせずに、新一はすっと目を細めて蘭とともちゃんを凝視していた。
 その視線に・・・蘭は居心地の悪さを感じてしまう。

「なあんだ、じゃ、約束して一緒に帰ってるわけじゃないのね!」
「・・・え? あ、う、うん・・・」

 一転して明るい声で確認してくるともちゃんに、蘭はうろたえながらも頷いてみせる。
 ・・・と、彼女は蘭の腕に絡めた自分の腕に、ますますぎゅっと力を入れてきた。

「じゃ、私と一緒に帰ろ!」
「え?」
「この人と、約束してたんじゃないんでしょ? だったらいいじゃない!」
「あ、うん・・・」

 もう一度、ちらりと新一を盗み見る。
 その視線に気付いた新一は、さっきよりも輪をかけて不機嫌そうな顔を隠そうともせず、低い声で蘭に告げた。

「・・・オレ、先帰るぞ」

 そのまま、蘭の返事を待とうともせずに、足早に先に帰っていく新一。

「あ・・・」

 ともちゃんに腕を掴まれたまま動けずにいる蘭の視界の中、みるみる小さくなっていく幼馴染の背中・・・。
 昼休みに芽生えたあの孤独感が、再び蘭の胸を襲ってきた。

 わたしだけ、置いていかれてしまう。

 そう思った瞬間に・・・蘭は心の中で叫んでいた。

 お願い!
 行かないで・・・!
 戻ってきて、新一!!

 けれど、その声は届かない。新一は、後ろを振り向かない。

 ともちゃんのことは、嫌いじゃない。
 大事な友達だと、思っている。
 だけど。
 ・・・だけど!

 新一のあとを追わせてくれない、この友人の腕が、まるで自分を縛りつける鎖のようだと・・・このときの蘭には思えてならなかった。
 

 


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