返事をしてくる。
・・・そう言い置いて、新一が校舎の中に消えてしまって・・・数分たったのか、あるいは数秒しかたっていないのか。時間の経過がよくわからなくなっていた。
とにかく蘭はほんのしばらくの時間、その場に立ち尽くしていたらしい。
その間、蘭の中には数え切れないくらいの感情が次から次へと襲ってきて、くらくらと眩暈がしそうになっていた。
同じクラスのともちゃんが、幼馴染の新一のことを好きだと言った。
蘭はともちゃんに頼まれて、それを新一に伝えた。
新一は、その返事をともちゃんに伝えてくると言い置いて、校舎の中に戻っていった。
言葉にしてみれば、たったそれだけの出来事。別段、おかしなことは何もない。ともちゃんが蘭に頼んできたのも、蘭がその言葉に従ったのも、新一がそれに対して起こした行動も。
でも・・・でも、返事って・・・どういうこと?
『・・・A組の瀬川さんに告白されたんだって?』
『何で知ってんだよ』
『・・・女子がみんな、噂してるんだもん』
『いやあ、人気者は辛いよなあ』
『ばーか。何言ってんのよ。・・・で、OKしたの?』
『するわけねーだろ?』
『・・・何で?』
『何でって・・・そりゃ、まあ・・・』
『瀬川さん、かわいい子じゃない』
『・・・そうか?』
『そうだよ。先週告白された山村さんだって・・・』
『・・・あんま、興味ねーし』
いつだったか、学校帰りに新一と交わした会話を思い出す。
・・・あんな風に言っていたから、新一は女の子と付き合ったりすることに、全く興味がないんだと思っていた。「興味ねーし」と言った新一は、本当にまったく興味がなさそうに、肩をすくめていたから。
・・・そう、心のどこかで、安心していたのかもしれない。新一が女の子と付き合ったりすることなんて、きっとないんだろうって・・・。
ともちゃんには・・・何て返事をする、つもりなんだろう・・・。
断るつもりなら、ここで蘭にそう言えばいい。
そうしなかったということは・・・直接、返事をしてくるということは・・・それって、まさか・・・。
ともちゃんの恋が、うまくいくといいな、という思いは、けっして嘘ではないはずなのに。
なのに、新一がともちゃんに、OKの返事をするつもりなんじゃないか・・・と、そう思っただけで、こんなに心がざわざわするなんて・・・。
相手がともちゃんだから、なんだろうか。
ちょっとだけ、そんな思いが脳裏を掠めた。
ともちゃんは、友達だ。間違いなく、友達だ。
けれど・・・けれど。
ともちゃんと友達付き合いをするようになってから、いったいいくつのものを、蘭は失ってしまったのだろう。
クラスメイトとの、楽しいおしゃべり。
自分のしたいことをする、自由な時間。
園子や新一と、偶然廊下で会ったり、放課後に会ったりしても、ろくに話もできないうちに・・・その腕は、ともちゃんによって引っ張られてしまう。
そして、今度は・・・新一まで、とられちゃうの・・・?
自分の中に一瞬だけ芽生えたその思いに、蘭ははっとして強く頭を振った。
違う。
そうじゃない。
新一はただの幼馴染で、わたしのものなんかじゃないんだし・・・それに、ともちゃんは友達で、新一がわたしの友達と付き合ったからって、わたしと新一の仲は、何も変わったりしないんだから・・・そんな風に考えるのは、おかしいよね・・・?
「・・・追いかけなきゃ・・・」
一人でここで待っていたって、どうにもならない。
新一の気持ちが、知りたい。
新一がどういうつもりなのか、確かめたい。
その結果次第では、今よりももっと心が揺さぶられてしまうかもしれないけれど・・・このままではいられなくて、蘭は新一の後を追い、校舎の中へと足を向けた。
※※
C組の教室の前。
蘭の視界に真っ先に入ってきたのは、扉の前で人待ち顔で立っている、新一の姿だった。近くにいた誰かにともちゃんへの取次ぎを頼んで、ともちゃんが出てくるのを待っているのだろう。
「・・・新一・・・」
恐る恐る名前を呼ぶが、新一は駆け寄ってきた蘭に振り向きもしない。・・・聞こえていないはずなど、ないというのに・・・。
「ねえ・・・新一っ!」
さらに一歩近づいて、さっきより声を大きくして名前を呼ぶ。・・・それでも、新一は振り向かない。
さきほどと変わらず無表情な横顔は、蘭を冷たく拒絶しているように感じられて、蘭はそれ以上声をかけられなくなってしまった。
(・・・新一・・・)
わずかに霞む視界の中に、新一の冷たくさえ感じられる横顔と・・・そして、教室の中から、その新一に向かって飛び出してくるともちゃんの姿が映っていた。
ともちゃんは少し紅潮した頬に、満面の笑みを湛えて教室から出てきた。
「工藤君!」と新一を呼び、そのそばまで駆け寄ってくる。・・・新一のすぐ横に立つ蘭の方へはまるで目もくれず、その熱を帯びた視線を、新一だけに向けて。
蘭が思ったように、ともちゃんも思ったのだろう。直接教室まで訪ねてきてくれるということは、新一の返事は、きっと色よいものなのだ、と。
・・・ともちゃんのそんな姿に、一旦はどこかに消え去っていたはずの「何か」が再び蘭の中で暴れ始めた。
ともちゃんが嬉しそうにしているのは、いいことのはずなのに。
なのに、こんなに心がざわつくのは・・・どうしてなの?
ともちゃんにも新一にも、もう声をかけることができず、お互いの顔を見つめ合うようにして立っている二人の姿を、ただ見守ることしか・・・蘭にはできなかった。
「・・・蘭に、聞いたよ」
正面からともちゃんの、そして真横から蘭の視線を受けながら、新一は静かに口を開く。
「・・・オレのこと、好きなんだって?」
「う、うん・・・」
新一の声は、なぜかいつもの声よりかなり低い。
喜んで飛び出してきたものの、新一の表情も声も口調も意外なものだったのか・・・ともちゃんは戸惑ったようにおどおどと、正面に立つ新一の無表情な顔を上目遣いに見ていた。
そして・・・わずかの間を置いて、新一の口からともちゃんに『返事』が告げられる。
「・・・悪ぃけど、オレ、あんたと付き合う気ねーから」
「え・・・」
「そーゆーことを人に頼んで言わせるよーなヤツ、大嫌いなんだよ」
吐き捨てるような、言葉だった。
・・・思いのほか大きな声量の新一の言葉は、その言葉を浴びせられた当人だけでなく、周囲にいた生徒たちの耳にも届いていたようで・・・
ざわついていたはずのC組の教室前の廊下が、 途端に、しんと静まり返った。
蘭の視界の中で、ともちゃんの顔がみるみる強張っていく。言葉を見つけられないのか・・・何かを言おうと口を開くのだが、声を発することができない。
ぱくぱくと口だけを動かして、顔色を無くしているともちゃん・・・。
そんな彼女の姿が、蘭の中から「何か」を追い払う。そして、ともちゃんの姿を見ていられなくなった蘭は、思わず新一の制服の袖を引っ張っていた。
「新一、そんな言い方・・・」
それまで完全に蘭の存在を無視してくれていた新一が、その行為でようやく蘭へと向き直る。そのことに少しだけほっとしつつも、いつもの新一らしくない新一の言葉がどうにも納得いかず、蘭は新一に非難を込めた視線を送ってしまっていた。
だって新一が女の子にこんな言い方するなんて・・・これまで、なかったから。
新一自身が言うように、すっかり「人気者」の新一は、本当によく告白されたりしていて・・・でも、それを断るときは、相手のことを傷つけないような言葉を選んでいると思っていた。
その現場を直接見たことがあるわけではないけれど、「新一に振られた」という女の子の話を人づてに聞いたり、新一が話している内容から推測できる範囲では、間違いなくそうなのだ。
それが、ともちゃんに対しては、あまりにもキツイ言葉が出てきたことに、蘭は戸惑わずにはいられない。
だが新一は、そんな蘭の非難を込めた視線に対して、肩をすくめて見せるだけだった。
「・・・しゃーねーだろ。本当のことなんだからよ」
「でも・・・」
何も、そんな言い方しなくたって・・・。
自分の想いを伝えるっていう大事なことは、確かに自分ですべきだと、蘭も思う。だから、新一の言っていることも、わからなくはない。
でもそれができないともちゃんの気持ちだって、よくわかるのだ。
拒絶されるのが、怖いから。・・・面と向かってノーを告げられてしまうのが、怖いから。それを受け止める勇気がないから、誰かにメッセンジャーを頼んでしまいたくなる気持ちは、
とてもよくわかるのだ。・・・ともちゃんにとって、友達である蘭が、一目惚れした相手である新一の幼馴染だったというのは、願ったり叶ったりの状況だったのだと思う。
だから、蘭に頼んだ。
そういう直接返事を聞く勇気を持てない人に対して、真正面からそれをぶつけてしまうという新一の行為は・・・ともちゃんを、どれだけ打ちのめしてしまったんだろうか。
「・・・ともちゃん・・・」
新一の言葉を浴びせられてから、ただ立ち尽くすだけのともちゃんに、蘭は恐る恐る声をかける。
・・・と、全身を硬直させていたともちゃんは、それに反応してびくんと肩を震わせて、なぜか怒りに燃えた瞳を蘭に向けてきた。
彼女の口からは、蘭に向かって強い口調の言葉が発せられたのだ。
「・・・ひどいっ! 蘭! 工藤君のこと、お願いねって、私、あんなに頼んだのに!!」
怒りのためか、屈辱のためなのか・・・ともちゃんは顔を真っ赤にして叫んでいた。
・・・思いもかけなかったともちゃんの言葉と、その掴みかからんばかりの迫力に、蘭は一歩、あとずさってしまう。
「ともちゃん・・・」
「わかったって言ってたくせに! どうしてちゃんと取り持ってくれないのよ! ひどいじゃないっ!」
「・・・ともちゃん・・・」
「友達でしょ!? だったらもっと、ちゃんと、頼んでくれたっていいじゃない!」
新一に拒絶されたショックのあまりだというのは、わかる。
きっと、あまりのことに・・・ともちゃんも感情が高ぶって、ヒステリックになってしまったのだ。
だが、立て続けに浴びせられたその言葉の数々は、蘭の表情を歪ませた。
・・・わたし、ともちゃんのために、ちゃんと新一に伝えたんだよ・・・?
本当はそんなこと、したくなかったけど・・・でも、ともちゃんは友達だから・・・だから、本当は嫌だったけど、願い事を聞いてあげたんだよ・・・?
それだけじゃ、だめだったの?
新一がともちゃんと付き合ったりしたら、寂しいだろうなって思ってはいたけれど、ともちゃんの恋がうまくいってほしいと思う気持ちだって、決して嘘じゃなかった。
でも、決めるのはあくまでも新一であって、蘭にはどうすることもできない。できるのは、ともちゃんの想いを伝えてあげることだけ。・・・けれど、ともちゃんは、それ以上のことを、蘭に求めていたというのだろうか・・・。
・・・そうなの?
友達って、そこまでしてあげなきゃいけないの?
不覚にも、涙が溢れそうになってしまった。
だが、そのとき。
「・・・いいかげんにしろっ!」
・・・大きな怒鳴り声が、蘭の涙を引っ込めた。・・・新一の、声だった。
はっと口をつぐみ、蘭に向けていた視線を恐る恐る新一へと戻す、ともちゃん。
同じく、唇を噛み締めてともちゃんからの罵声を受けていた蘭も、ゆっくりと新一へ視線を向ける。
制服のポケットに両手を突っ込み、少し俯き加減に立っている新一・・・その瞳には、誰の目にもはっきりとわかるほど、強い怒りが表れていた。
「・・・てめぇのことだろ?自分で何とかしろよ!何でもかんでも、蘭におっ被せるな!」
「あ・・・わ、わたし・・・?」
「だいたいなあ、自分のことしか考えてねーくせに、友達みてーな顔して付き纏ってんじゃねぇよ!これ以上、蘭を縛るな!」
「そ、そんな・・・」
「やめて!」
反射的に、蘭は叫んでいた。
「蘭・・・」
「ともちゃんは友達よ!それ以上ひどいこと言わないで!」
新一が、蘭のために・・・蘭を思って、ともちゃんに言ってくれているのは、わかる。それが、涙が出るくらい嬉しいという気持ちも、蘭の中にはある。
だが、新一に怒鳴られて、さっと青ざめてしまったともちゃんのことを、やはり見ていられなくて・・・蘭は新一の腕にすがるようにしてその言葉を遮っていた。
・・・そんな蘭の耳に、今度は蘭に対する怒声が飛び込んできた。
「・・・オメーこそ、いい加減に気付け!自分を殺して、気を使って、・・・言いたいことも言えねーような相手が、ほんとに友達だって言えるのかよ!」
・・・頭を、思い切り殴られたような気がした。
蘭の心が、叫んでいた。
そうよ! そんなの、友達だって言えない!
新一の言うとおりだ!
だが、蘭の口から発せられたのは、それとはまったく逆の言葉だった。
「・・・違うっ!」
「蘭っ!?」
「違う、違う、違うっ!!・・・そんなんじゃ、ないんだからっ!!」
新一の言葉を・・・そして、それを強く肯定してしまった自分の気持ちを振り払うかのように、蘭は必死で叫んでいた。
違うっ!
ともちゃんは、友達だから・・・わたしが、仲良くしてあげなきゃ、いけないんだから!・・・だから、そんな風に思っちゃいけないんだから!
新一がともちゃんに浴びせた言葉を、一瞬でも嬉しく思ってしまった自分が情けなくて、恥ずかしくて。
・・・蘭はその場から逃げ出すようにして、踵を返していた。
「・・・蘭っ!?」
慌てたように自分を呼ぶ新一の声が聞こえたが、振り返らなかった。・・・いや、振り返れなかった。
何事かと集まっていた野次馬の生徒たちの群れをかいくぐり、ただ必死に廊下を走りぬける。
溢れてくる涙が、そんな蘭の視界をぼやかしていた。
※※
自分を追いかけてくる足音が、聞こえなかったわけじゃない。
それが誰の足音なのかも、わかっていた。
だが、蘭は立ち止まらなかった。・・・全速力で、廊下を走りぬけた。
ときどきすれ違う友達や顔見知りが、驚いたように声をかけてきたり振り返ったりしていたが・・・それにも構わず、ただもう必死に走っていた。
・・・新一に、追いつかれないために。
廊下の端まで走ってから、階段を駆け上がる。さきほど新一を追って駆け下りたその階段を、今度は新一から逃げるようにして駆け上った。
今は、新一と話したくなかった。
新一の言葉を聞きたくなかった。
なぜなら・・・新一の言葉が正しいということを、蘭はわかっていたから。
けれど、その正しいことを、認めたくなかった。
突きつけられたくなかった。
・・・だから、逃げた。
・・・なのに。
「逃げるなっ!!」
鋭い声が間近に聞こえたと思った瞬間に、がしっと腕を掴まれる。
「やだっ!離してっ!」
「蘭っ!」
屋上の日差しの下に飛び出した瞬間に新一に追いつかれてしまい、蘭はその腕から逃れようと必死に腕を振り回した。
「違うんだから!そうじゃないんだからっ!」
「蘭っ!落ち着けよっ!」
「そんなんじゃ、ないんだからっ!・・・ともちゃんは、わたしが・・・わたしがっ!ちゃんと仲良くしてあげないといけないんだから!・・・ともちゃんは他に友達いないし、先生に、頼まれてて・・・わたしがっ!仲良く、してあげないと・・・っ!」
「・・・痛っ!・・・って、おいっ!もう、わかったからっ!」
無茶苦茶に振り回していた腕は、無意識に新一の身体や顔に当たってしまっていたらしい。
それでも新一は、蘭の腕を離さなかった。「痛い」と文句をいいつつも、決して蘭の逃亡を許してはくれず・・・ついに業を煮やしたのか、掴んだほうの蘭の腕を力いっぱいぐいっと引っ張った。
「だからっ!落ち着けって!」
どんっ!・・・と、引っ張られた勢いのままに、ぶつかるように新一の胸に身体を預けてしまった蘭を、新一はこれ以上暴れさせるものかとでも言うように、がしっと羽交い絞めにしてしまう。
もうどんなに腕を振り回しても、それは空回りするばかり。
そうしてほとんど身動きがとれない状態になってしまった蘭の耳には、新一のため息交じりの声が、小さく届いた。
「・・・いいから・・・もう、無理すんなよ・・・。あんな蘭、もう見たくねーんだよ・・・」
その声に込められた、切なくなるような吐息。
・・・それが魔法のように、混乱してわけがわからなくなっていた蘭の意識を、なぜかすとんと落ち着けた。
蘭の全身に入っていた無駄な力が、波が引くようにすーっと抜けていく・・・。
「・・・新一・・・」
ぽつりと、名前を呼んで、新一の腕から逃れようと振り回していた腕を、蘭はようやく下ろしていた。
そのことにほっとしたように息をついた新一が、腕の力をゆっくりと緩める。少し身体を離して覗き込んできた瞳には、困ったような、それでいて蘭を気遣うような優しい光が揺れていた。
「新一・・・わたし・・・」
「・・・ほんとは自分でもわかってるんだろ?無理矢理、あいつの友達でいてやらなきゃいけないって、自分に言い聞かせてるだけなんだって・・・」
「・・・違う、よ・・・」
新一の胸をやんわりと押しやって身体を起こしながら、蘭がぽつりと呟いたのは、何度も繰り返してきた否定の言葉。
だがそれはもう、新一の言葉を跳ね返すような強さを持ってはいなかった。弱々しく、虚しく響くだけの言葉になってしまっていた。
・・・蘭の心はもう、新一の言葉を否定することができなかったのだ。違うと、思えなくなっていたのだ。
それが新一にも伝わったのだろう。
小さく、ふっと笑った顔が・・・蘭をいたわるように、優しく見えた。
違う、と言ったきり、もう何も言えなくなってしまった蘭に対し、新一は口調をあらためて、こんなことを言い出した。
「オメーさ、・・・先生でも、おっちゃんでも、オレでもいいけど・・・誰かに『園子と絶交しろ』って言われたら、言うこと聞くか?」
「・・・え?」
どうしてここに、園子の名前が出てくるのだろうか。
・・・だが言われた内容は、どうにも納得できるものではなかったので、蘭はそれを強く否定する。
「そんなわけないじゃない。誰が何を言ったって、園子はわたしの親友よ?そんなこと、いくら先生やお父さんや新一に言われたって・・・」
「・・・そーゆーこと」
「・・・え?」
何が「そーゆーこと」なのかわからずに、きょとんと新一を見つめと、新一はその蘭の視線に答えるように、ますます優しい笑みを浮かべてみせる。
「だから、友達って、そーゆーことだろ?人に言われたから友達になるとか、人に言われたから友達やめるとかって、おかしいだろ?自分が友達でいたいから、友達なんだろ?」
「・・・あ・・・」
新一の言葉に、蘭ははっとして、口元を両手で覆っていた。
そう・・・ほんとうに、その通り。新一の、言うとおり。
「・・・先生に言われたから、仲良くしなきゃいけない、他に友達がいないから、友達でいてやらなきゃいけない、ってさ。そんなもん、友情なんかじゃねーよ。オメーが責任感の強いやつなのはわかってるけど・・・義務とか責任だけの関係だけじゃ、ほんとの友達って言えねーだろ・・・?」
新一の言葉が、ゆっくりと蘭の心にしみこんでくる。
悔しいくらいに、心がすんなりと納得していた。
・・・けれど、これは嘘ではないから、と、一応の反論を試みる。
「わたし・・・ともちゃんのこと、嫌いじゃないよ・・・友達でいたいって、思ってるもん・・・」
「だから・・・その『嫌いじゃない』ってのが、そもそもおかしいんだよ。友達だと思うなら、『ともちゃんが大好きだから友達なんだ』って言ってみろよ。・・・言えねーんだろ?」
「・・・ともちゃんが・・・」
ともちゃんが、大好きだから・・・。
新一に促されるままに、そう言おうとしたのに・・・言葉が、出てこなかった。
その事実が、新一の言葉を何よりもはっきりと肯定していた。
「オメーがあいつの友達でいるのは、あいつと一緒にいたいからじゃなくて、義務感と責任感と、あいつへの憐れみから、なんだよ。・・・それって・・・オメーもしんどいだろーし、あいつにも、失礼なことなんじゃねーのか・・・?」
義務と。
責任と。
憐れみと。
自分がともちゃんに抱いている感情が、まさにそれなのだと、新一に言われて気付く。
・・・いや、本当はもう、気付いていた。
それを認めるのが怖くて、逃げていただけなのだ。・・・だから面と向かって新一にそれを指摘されて、自分の醜い部分を曝け出されたような気持ちになってしまったのだ。
ともちゃんに強い怒りをぶつける新一を必死に止めたのは、ともちゃんの為じゃない。新一の言葉を聞いて、まるで自分の言葉を新一が代わりに言っているような気がして・・・自分の本音を突きつけられたような気がして、怖かったから・・・。
「・・・しんどい・・・のかな、わたし・・・」
ぽつり、と呟くように言って、蘭は視線を足元に落とした。
その蘭の頭の上に、暖かな手がぽん、と乗せられる。・・・いつの間にか大きくなっていた、新一の手だ。
「しんどくねーのか?・・・オレにはオメーが、すっげー無理してるよーに見える」
優しい口調に、再び涙が溢れそうになった。
「無理、してる・・・?」
わたし、無理してるの・・・?
だからこんなに、心が重かったの・・・?
ともちゃんと、友達でいてあげなきゃいけないと思っていた。
先生に、「お願いね」と頼まれて。クラスで一人、ぽつんと座っているともちゃんを放っておけなくて。
でも、その思いに、囚われすぎていたんだろうか。
自分がともちゃんに感じていたのは友情なんかじゃなくて、先生に頼まれたことを果たさなきゃ、っていう、責任感と、義務感と、・・・新一が言うように、友達のいないともちゃんに対する、憐れみでしか、なかったんだろうか。
そうなのかもしれないと、思う。
でも、それだけじゃないとも思いたい。
「でも・・・ともちゃんと友達でいたいって気持ちは、ほんとなんだよ・・・?」
「・・・わあってるよ」
意外なことに、今度は新一は、蘭の言葉を否定しなかった。
驚いて顔を上げれば、相変わらず優しく笑う新一の瞳が間近にあって、どきっとする。
「オメーが彼女と友達でいたいって気持ちまで、嘘だとは思ってねーよ。けどさ・・・だったら尚更、嫌なら嫌って、ちゃんと言うべきだろ?自分を殺してまで相手の要望を聞いてやるのが友情か?・・・相手が園子だったら、オメーはちゃんと言ってるじゃねーか。・・・言いたいこと言っても一緒にいられるのが、友達だろ・・・?」
「・・・うん・・・」
「それで離れてくようなら、その程度の関係でしかなかったんだよ。それでいいじゃねーか。先生なんか関係ねーよ・・・。ふつーにしてろ。自分を殺して、無理して、おかしくなってる蘭なんか・・・みたくねーよ・・・」
最後はまるで、独り言のように呟く新一。
優しくて、そして心から蘭のことを思って言ってくれている言葉が嬉しくて・・・。
「・・・いいのかな。それで・・・」
ほんとうは、嫌だった。
園子や新一と話をしたいのに、それをさせてくれないともちゃんも・・・新一と一緒に帰りたいのに、そうさせてくれないともちゃんも・・・そして何より、新一との仲を取り持って欲しいと言ってくる、ともちゃんも・・・。
でも、嫌だと言えなかった。
嫌だといえば、ともちゃんとの仲は壊れてしまうかもしれない。・・・それが、怖かった。
けれど・・・新一の言うとおり、そんなのは、友情なんかじゃない。
先生の期待に応えなきゃ、とか、友達のいないともちゃんがかわいそうだから、とか・・・そんなのは、蘭の都合でしかない感情だ。・・・それは新一の言うとおり、ともちゃんに対しても、すごく失礼なことで・・・そして、蘭自身にとって
も、とても辛いこと。
嫌なら嫌って、言ってもいいの?
ほんとのことを・・・ほんとの気持ちを、ちゃんとぶつけて・・・それで、結果としてともちゃんと友達でいられなくなったとしても・・・それでも、いいの・・・?
ぽつり、と小さく・・・小さく呟いた声にも、新一はやっぱり笑ってくれた。今度は、悪戯っぽく瞳を輝かせて、にやっと口角を上げて。
「いい。オレが許す」
その言い方があまりにも偉そうで、でもそれが新一らしくって。半分泣きそうになっていたのに、蘭は思わず、ぷっと吹き出してしまっていた。
「・・・偉そうなんだから・・・」
「偉いからな」
「・・・もぉ」
茶化すような言い方に、頬を膨らませてみせても・・・それでも笑っている新一に、つられてしまって。
今度こそ本当に、すべての重苦しい感情が吹き飛ばされていくのを、蘭は感じていた。
屋上を吹き抜けるゆるやかな風が、蘭と新一の前髪を小さく揺らし・・・二人の心の中にあった重石を、吹き飛ばしてくれたような・・・そんな気がした。
「・・・わたし、ね」
なんだか素直な気持ちになれて、ぽつりと蘭は呟いていた。
「わたし・・・ほんとは、すごく嫌だったんだ」
「・・・ん?」
「ともちゃんに、新一との仲をとりもって欲しいって言われたとき・・・。それで新一が、ともちゃんに返事をしてくるって言ったとき・・・新一のこと、ともちゃんに取られちゃうんじゃないかって思ったら、すごく、嫌だったの・・・」
「・・・え・・・」
ぽつり、ぽつり・・・と、小さな声で語り始めた蘭に、新一はぽかんと口を開け、驚いたように目を見開いている。
それには構わず、蘭は言葉を続けた。
「だから新一がともちゃんに、付き合う気がないって言ったとき・・・ほんとはすごく、ほっとしてたの。・・・ずるいよね。こんなの、友達って言えない・・・。それくらいなら、最初から、嫌だっていうのが、ほんとの友達だよね・・・」
「な、なあ・・・蘭、それって・・・」
「だからね、あとでともちゃんに、ちゃんと言うね。新一とのこと、とりもってあげるのは、嫌だって。だって、新一はわたしにとって・・・」
相変わらず、なぜか驚いたように蘭を凝視している新一に、にっこりと笑いかけて、蘭は大きな声で宣言する。
「わたしにとって・・・大事な大事な、幼馴染なんだもん!」
・・・その瞬間に、なぜかがっくりと肩を落とし、「あ、そ・・・」と呟いた新一を・・・後日、話を聞いた園子が「ご愁傷様」と言って、慰めたとか慰めなかったとか・・・。
※※
「あ、あのさ・・・蘭・・・」
おずおずと、声かけてくるともちゃんに、蘭はちょっとだけ、身構える。
「ともちゃん・・・」
「あの・・・さっき、ね。工藤君から庇ってくれて・・・ありがとう・・・」
「え・・・?」
一瞬、何のことを言われているのかわからなかったのだが・・・新一がともちゃんに「酷いこと」を言ったときに、「ともちゃんは友達だから、ひどいこと言わないで!」と、蘭がともちゃんを庇ったことを言っているらしい。
すっかり恐縮してしまっているともちゃんに、蘭は慌てて両手を左右に振ってみせた。
「・・・そんな、庇うとか、そんなつもりじゃなかったんだし・・・」
そう・・・あのとき、必死になって新一の言葉を遮ったのは、ともちゃんのためだけじゃない。それ以上新一の言葉を聴いているのが、辛かったから。・・・まるで、自分の気持ちを曝け出されたような気がして。
だから、ともちゃんにお礼を言われるようなことじゃない。
けれどともちゃんは、もう一度「ありがとう」と言ってから、驚いたことに、蘭に対してぺこりと頭を下げたのだ。
「・・・私、蘭を縛ってた?蘭に、付き纏ってた・・・?」
「ともちゃん・・・」
「工藤君に言われて・・・そうかもしれないって、思ったの。なのに、蘭は私を庇ってくれたから・・・ほんと、ごめんね・・・」
泣きそうな顔でそう言ってから、ともちゃんは消え入りそうな声で言ってきた。
こんな私と、これからも友達でいてくれる・・・?、と。
蘭はちょっとだけ驚いて、息を呑んだのだが・・・心の底から嬉しくなって、
「もちろんよ!」
と、強く答えていた。
そして、心の中で呟く。
結局、ぜーんぶ新一のお陰なんだから・・・何もかもお見通しみたいで、なんか、悔しいなあ・・・。
でもその悔しさは、決して嫌な気持ちじゃなくて・・・心の中が暖かくなる、そんな気持ち、だったりした。
〜fin〜