Restart side Ran (3)
『蘭、無事だったか!』
ビルを出てからコナンに言われたとおり、目暮警部の携帯に電話をかけると、それに出たのは目暮警部ではなく父の小五郎だった。
電話の向こうから、安堵の声。
蘭があの男に攫われてから、もう4時間以上たっていたらしい。・・・かなり心配をかけてしまっていたようだ。
「大丈夫よ、お父さん。新一が・・・助けにきてくれたから・・・・・・」
『・・・そこに一緒にいるのか?』
「ううん。わたしだけ先に逃げろって、現場に残ってるの。だから、早く警察を・・・」
『おう。オレも一緒にすぐに行くから、おとなしくそこで待ってろよ!』
今度は、母の英理の声が聞こえてきた。小五郎から携帯を取り上げたらしい。
『蘭、怪我はない? 大丈夫なのね?』
「お母さん・・・」
蘭の危機に、父はちゃんと母を呼んでくれたのだ。それがわかって、蘭は嬉しくなる。
そういえば昔から、いつも喧嘩ばかりしていた両親だったけれど、蘭が風邪を引いたときやケガをしたときなどは急に仲良くなって、二人で蘭を心配してくれていたっけ。
「平気よ、お母さん。ここで待ってるから、早く迎えにきてね!」
『ええ。新一君も大丈夫なのね?』
「うん」
『よかったわ。あの子、命にかえてもあなたを助け出す、って、あの人に啖呵を切って乗り込んでいったみたいだから、無茶しているんじゃないかと思って心配していたのよ』
「新一が・・・」
きっとあの蝶ネクタイを使って、新一の声で、小五郎に電話をしたのだろう。
命にかえても、わたしを、助ける・・・そう言ってくれたんだ・・・。
『・・・でも間に合ってよかったわ。あの人の話だと、犯人から警視庁に、新一君あてに電話がかかってきたんだけど、そのときは新一君に電話がつながらなかったらしいのよ。そうしたらコナン君が、ボクが知らせてくる、って言って飛び出していったんですって。・・・あの子、よく新一君の居場所を知っていたわね・・・』
それは知っているだろう・・・何しろ、本人なのだから。
口に出しては言えない台詞を飲み込んで、蘭はこっそりと小さく笑う。
『もしかしてコナン君もそこにいるの? あの子・・・あなたを助けに新一君についていったんじゃないかと思って、それも心配していたんだけれど・・・』
「・・・ううん。コナン君は・・・」
来てないわ、と言おうとして、蘭は言葉を飲み込んだ。
蘭は、コナンが新一だと知ってしまった。だから、新一が助けにきてくれた、と、父にも母にも何も考えずにそう言ってしまった。
だが、現に此処にいるのは・・・二人が同一人物だと知らなければ、此処にいるのは新一ではなく、コナンなのだ。
父や母や警察関係者に、コナンは実は新一なのだと言ってしまうのは・・・やはり、まずいのではないだろうか。
『コナン君、そこにいないの?』
「・・・えっと・・・」
英理の重ねての問いかけに、蘭は答えることができずに言葉を濁した。
・・・そのとき。
バン、と、何かが弾けるような音が、蘭の耳に突然響いた。
(・・・・・・え?)
たった今蘭が出てきたこの廃ビルの、上のほうから・・・。
何の音なのか、考えるまでもない。顔から血の気が引くのが、自分でもわかった。
『蘭、今の音・・・銃声!?』
電話の向こうにもその音は届いたようで、英理の息を飲む気配がする。
「・・・新一っ!」
『・・・蘭?・・・蘭、待ちなさい! 警察がすぐに行くから、そこを動かないで・・・!』
英理の言葉を最後まで聞かないうちに、手にしていた携帯を放り出して、蘭は反射的に駆け出していた。
たった今、自分が出てきたばかりのビルの中へ。
『・・・蘭! ・・・蘭!?』
ビルの前に放り出された携帯からは英理が必死に蘭を呼ぶ声がしていたが、それはもう蘭の耳に届いてはいなかった。
(・・・新一!!)
全速力で、さきほど降りたばかりの階段を駆け上がる。
・・・あの男は、倒れたはずなのに。
新一はあの男から、銃を奪っていたはずなのに。なのに、どうして銃声が・・・!?
新一が奪った銃は、銃声がしなかった。蘭のロープを切ったときにはパシュ、と小さな音しかしなかった。きっと、サイレンサーとかいうものがついていたのだろう。
では今の音は?
まさか、あの男がもう一つ銃を持っていて・・・そして、新一を撃ったということ・・・?
屋上まであと少し、というところまで蘭が駆け上がったとき、バン、と、また銃声が響く。
その音に、心臓が潰れそうになる。
・・・嫌っ!!
新一、お願い。無事で、いて・・・っ!!
屋上へと続く、蝶番の外れた扉までようやくたどり着く。
完全に上がってしまった息を整える暇もなく、新一がいるはずの屋上へ飛び出そうとして・・・そしてそのときに、さらに銃声が響く。
これまでの2発よりもさらに大きな音に、蘭はびくりと足を止めた。
がくがくと膝が震える。
すぐに飛び出していきたいのに、そこで一体何が起こっているのか・・・怖くて、前に進めなくなってしまった。
新一は、無事なの・・・・・・?
震える蘭の耳に次に飛び込んできたのは、銃声ではなく、新一と・・・そしてあの男の、声だった。
「・・・ど・・・どうした、よ・・・。頭は、そこじゃねー・・・ぜ」
「口の減らねえ、ガキだ・・・。今、楽にしてやるさ。・・・だが、その前に、聞かせてもらおうか」
「何をだ?」
「とぼけるな。貴様・・・何者だ・・・。ただのガキじゃねえ・・・」
新一の声が、切れ切れに震えている。
荒い息遣いまで聞こえてきそうな苦しげな声に、蘭はぎゅっと両手を握り締める。
・・・でも。
新一は、ちゃんと生きている・・・撃たれて怪我をしてしまったようだが、新一の命は奪われていない。
蘭は震える膝を止めることができないままに、扉の影から屋上の様子を窺った。
さきほど倒れていた場所に、あの男が立っている。
その場所から少し離れた場所に、小さな影。アスファルトの上に膝をついて、肩を押さえている。その指の隙間から血が流れていて、彼がそこを撃たれているのだとわかった。
蘭が息を詰めて見つめる中で、こんな場面だというのに・・・少年はふっと口元に笑みを浮かべる。
そして彼の口が、さきほどの男の問いに対する答えを刻んだ。
「工藤、新一・・・。探偵さ・・・」
(・・・新一・・・っ!!)
ああ・・・やはり、そうだった。
ほとんど確信していたとはいえ、本人の口からその言葉を聴いて、確信が真実に変わる。
・・・やっぱり。
やっぱり、あなたは・・・新一だった・・・。
「まさか、とは思ったが・・・やはり、な・・・」
男が、苦々しく舌打ちする。・・・どうやらこの男も、コナンの正体に薄々気づいていたのだろうか・・・。
「・・・こんなガキの姿で、組織の目を眩ましていたとはな・・・。まんまとしてやられたというわけか・・・」
「こんな姿になっちまったのも、元はといえばテメーがオレに飲ませた毒薬のせいなんだぜ・・・? あの『出来そこないの名探偵』のな・・・」
「あれは、死体から毒が検出されない毒薬だったはずだ・・・」
「試作段階だったあの薬は効果が安定せず、本来の働きは見込めなかった・・・。ところが実験に失敗したはずの死体から薬物が検出されないという別の効果が認められたために、組織の研究所はあの薬を毒薬として利用することにしたんだ・・・。あの薬・・・APTX4869は、もともと、時の流れに逆らって、人間の身体の成長を逆行させる薬だった のさ・・・」
「・・・えらく詳しいじゃねえか」
「薬の開発者から、直接聞かされたからな・・・」
「シェリーか。・・・やはり貴様が匿っていたのか」
二人の会話に、蘭は息を呑んだ。
すべては理解できなかったが、どうして新一が子供の姿になってしまったのか・・・その理由が、ようやくわかった。
新一はこの男に、殺されそうになっていたのだ。毒薬を飲まされて。
ところがその薬は、新一の身体を小さくした。・・・江戸川コナンという、子供の姿に・・・。
そんな危ない目に、あっていたなんて。
厄介な事件に関わっている、と繰り返していたけれど、本当に、そんな危険な事件に巻き込まれていたなんて。
そして今また、彼の命は銃口にさらされている。
攫われてしまった蘭を助けるために、たった一人で危険な現場に乗り込んで。
「・・・そろそろ、覚悟はいいか?」
男の手元で、ジャキっと金属の音がした。銃口が、少年の頭を狙っている。
蘭の耳に届いた先ほどの三発の銃声は、少年の肩と太もも、そして頬を赤く染めていた。でも次は、頭を狙っている。
「その前に・・・聞かせろ、よ。オレもテメーの質問に答えてやったんだぜ。こっちにも答えてくれよ・・・」
この期に及んで、そんなことを口にする少年に、男が嘲るようにふっ、と口元を歪めた。
「・・・冥土の土産だ。答えてやろうじゃねーか」
「オレを・・・工藤新一を狙ったのは、組織を壊滅に追い込んだことへの、復讐のためなのか?」
「ふん・・・俺は生憎と、そんなくだらねえ感傷は持ち合わせちゃいない・・・」
「だったら、なぜ」
「工藤新一は、俺が殺したはずだ。それが生きていやがるというのが気に食わなかった。それだけのことさ・・・」
撃たれる。
今度こそ、新一が殺されてしまう。
新一の命が、奪われてしまう!!
(・・・それだけは、絶対に嫌っ!!)
足の震えは止まっていた。
何も考えれなかった。頭が真っ白になって・・・無意識に、蘭は飛び出していた。
「・・・新一!!」
神様。
やっと見つけた、やっと取り戻した、大切な人なんです。
だからどうか。
どうか私から、新一を、奪ってしまわないで・・・!
銃声。
同時に、少年の身体を突き飛ばす。・・・そして直後に、下腹部に、熱い激痛。
崩れ落ちるようにその場に倒れこみながら、蘭は思った。
・・・わたしが、撃たれたんだ。
じゃあ新一は、無事だよね・・・?
「・・・蘭!?」
それはコナンの声だったけれど、もう蘭には新一の声にしか聞こえなかった。
「・・・蘭・・・っ!」
小さな身体が蘭に駆け寄り、小さな腕が蘭を抱き起こす。
「蘭・・・オメー、どうして・・・」
蘭の顔を呆然と見つめる子供の顔。
でももう、新一にしか見えない。
「銃声が聞こえて・・・じっとしていられなくて・・・。気づいたら、飛び出しちゃった・・・」
「バーロッ!!何で戻ってきたんだよ!!」
小さな新一の顔が、怒ったような泣きそうなような表情で、蘭を見つめている。
怒っているの? 勝手に、戻ってきたから?
でもね、でも・・・。
「できないよ・・・新一を置いて、一人で逃げるなんて・・・」
「蘭・・・」
「でもよかった・・・新一に、弾、当たらなくて・・・」
「蘭! しっかりしろ、蘭!!」
必死に蘭の名を呼んでくれる。
無事だったんだね、新一。
いつもいつも、助けられてばっかりだったけれど。
わたし、ちゃんと新一を助けられた・・・?
「・・・蘭!」
もっと新一の顔を見ていたいのに、お腹が痛くて、だんだん視界が霞んでくる。
頭がぼーっとしてきて、もう何も考えられない。
ただ、自分を呼ぶ新一の声と、自分を抱きしめてくれる小さな新一の手が暖かくて心地いい。
そして、蘭は意識を手放した。