go steady (2)




『毛利命』

(・・・なんだ、これは?)

 新一は下足箱の内履きシューズの上にそっと置いてあった封筒を手にしたまま、しばらくの間、固まっていた。
 飾り気のない白い縦書き封筒の表書きは、「工藤新一様」。差出人を確認しようと裏を返して・・・上記の単語を見つけた。

「新一、どうかしたの?」

 すでに内履きに履き替えて教室へ向かおうとしていた蘭が、下足箱の前から動こうとしない新一を不思議そうに振り返る。

「・・・何でもねー」

 答えながら新一は、その封筒を制服のズボンのポケットにくしゃっと押し込んだ。

「わりーけど、先に教室行っててくれよ」
「・・・何で?」
「あー・・・今日提出の課題、職員室に持ってかねーといけねーから」

 納得しているのかいないのか、微妙な表情でふうん、と小さくつぶやき、新一のポケットに突っ込まれた右手に一瞬ちらりと視線を送ってから、じゃ、と蘭は踵を返した。

 あの視線は、何か言いたげだったな・・・。
 とは思ったが、この手紙を素直に蘭に見せるのは、新一としては非常に面白くない。
 蘭の姿が見えなくなるの確認してから、思わず握り締めてしまったせいで皺くちゃになった問題の封筒をポケットから取り出し、それをまじまじと見つめた。

(いまどき、毛利命、はねーだろ・・・いつの時代の人間だ?)

 が、それにしても、腹の立つ書き方である。

 毛利・・・とあるからには、当然、蘭のことだろう。
 蘭に熱を上げているどこの誰だかも知らないような男が、復帰するなりさも当然のような顔をして(・・・実際、当然だと思っているのだが)蘭と一緒に登校してくる新一に対して、何か言いたいことがある、と、そういうことだろうか。

 新一は、びっ、と封を切り、こちらも皺くちゃになってしまった白い便箋を中から引っ張り出した。


  工藤新一様

   突然のお手紙、失礼いたします。
   この度は無事の学校復帰とのこと、お慶び申し上げます。
   工藤先輩のことは、以前より蘭先輩からお聞きしており、
   これまで直接お話しさせていただいたことはありませんが、
   先輩にはとても親近感を覚えております。
   工藤先輩と蘭先輩のご関係は存じておりますが、
   どうしても確認させていただきたいことがあり、
   こうして失礼を承知で手紙を書かせていただきました。
   ご迷惑かとは思いますが、できれば直接お会いしてお話したいと思います。
   今日の放課後、第一体育館の裏手でお待ちしております。

  毛利命


(・・・なるほど、な)

 蘭から自分のことを聞いている、ということは、おおかた空手部の1年生だろう、という想像はつく。
 新一のことは「工藤先輩」で、蘭が「蘭先輩」と、苗字ではなく名前で呼んでいるのは、「自分は蘭とは親しい関係なのだ」ということを言外に匂わせているわけだ。
 文章は丁寧だが、その丁寧さから逆に、並々ならぬ敵意が感じられるのは・・・新一の、気のせいだろうか。
 しかも最後まで自分の名前を名乗らず、差出人を「毛利命」で通している。こんな挑戦的な手紙を寄越しておきながら、自らの正体すら明かさないとは・・・不届き極まりないではないか。

 しかし、新一と蘭の関係を知っている、というのは、どちらの意味なのだろうか。
 つまり、「幼馴染」という一般に知られた新一と蘭の関係を知っている、という意味なのか、それともつい最近始まったばかりの「恋人」という関係を指しているのか・・・。
 新一が蘭に想いを伝えたのはほんの1週間ほど前のことで、それ以降、蘭はずっと学校を休んでいたわけだから、その関係を知っている生徒はほとんどいないはずだ。
 だが、その1週間の間に新一に対して告白してきた女子生徒は何人もいて、そのすべてに対して「付き合ってるヤツがいる」と言って断っているのだから、その話がそろそろ校内で噂になっていてもおかしくはない。・・・一応、学校一の有名人である、という自覚は、新一にもあるのだ。
 だからもしそうだとすれば、この手紙を出してきたヤツはその噂を聞きつけて、その話が本当なのかどうなのかを確認するために新一を呼び出してきた、ということなのだろう。

(・・・きっちり話、つけてやろーじゃねーか)

 新一の口元に、いつもの不敵な笑みが浮かんだ。



※※



「おはよーっ」

 新一と別れて先に2年B組の教室に入った蘭は、たちまちクラスメイト達に取り囲まれてしまった。

「蘭!もう風邪治ったの!?」
「結構元気そうじゃない!よかった〜」
「うん、もう平気!ごめんね、心配かけて」

 1週間に渡る欠席の理由は、「風邪をこじらせて入院していたため」ということにしてある。
 蘭が事件に巻き込まれ、拳銃で撃たれて大怪我をした、という事実は、事件関係者以外には伏せておいたほうがいいだろう、という新一および警察の進言に従ったのだ。
 新一が言うところの「黒の組織」はほとんど壊滅したわけだが、まだ残党が残っていて、どこに潜んでいるかのかわからない。蘭の巻き込まれた事件自体はあのジンという男の単独犯であったので、再び蘭が狙われるといったことはないと思われるのだが、事件のことを知った組織の残党がどういった行動に出るかわからない以上、身の安全のためにも事実を知る人間は少ないほうがいい、ということらしい。
 見舞いに行く、といって引き下がらなかった園子に対してだけは、新一は「誰にも言うなよ」と念押しして事情を説明したらしいが、それ以外のクラスメイトたちは、蘭はただの風邪だったのだと思っている。

 そう言えば、コナンの不在の理由も「風邪」ということにしていた。便利な言い訳である。・・・今後、風邪を引いて休んでいる、という人がいたら、ホントかな、と疑ってしまいそうだ。

「・・・で?新一君は?一緒に来たんじゃないの?」

 ようやくクラスメイトの集団から解放されて自分の席に着いた蘭に、後ろの席の園子がささやいてきた。
 クラスメイトの中で唯一、蘭の本当の欠席理由を知らされている園子は、入院中は2日に1回は蘭の見舞いに訪れてくれた。・・・その都度、新一のことやコナンのことで冷やかされたりからかわれたりもしたのだが。

「一緒に来たんだけど、職員室寄ってから来るって」

 椅子に座ったまま振り向いて蘭が答えると、園子は腕組みをして、ははーん、と楽しそうにつぶやいた。

「さては、アヤツ・・・逃げたわね」
「・・・逃げた?」

 蘭が首をかしげると、園子はにやっと笑って顔を寄せてきた。

「あんたが休んでる間、新一君、男子連中にかなり冷やかされてたのよ。・・・ほら、ようやく復帰したと思ったら、その途端に今度はあんたが休み始めたじゃない?奥さんはどうした、夫婦のツーショットが見たいのに、って、さんざんよ」
「お・・・奥さん・・・って・・・」
「多分、あんたと一緒に教室に入ったら今まで以上にからかわれると思って、わざと時間をずらしたのよ。・・・そんなことしたって同じクラスなんだから、遅かれ早かれ冷やかされるに決まってるのに、往生際が悪いわねー」

 園子にかかると、新一も形無しである。
 それにしても、そんなに冷やかされていたとは・・・そのことについては、新一は何も言ってなかったな、と、今朝一緒に登校してきたときのことを、蘭は思い出していた。

 今朝は、久しぶりに新一と一緒に登校できるかと思うと嬉しくて、いつもより早起きしてしまった。
 ご機嫌で朝ご飯を食べていたら、「今日からテストだってーのに、何がそんなに嬉しいんだ?」と小五郎に不審がられてしまい、「久しぶりに学校に行けるからよ!」と赤い顔で誤魔化した。
 で、いつもより早く家を出て新一の家まで迎えにいくと、「・・・早過ぎんだよ、オメーは・・・」と、半分寝ぼけた不機嫌顔の新一がパジャマのままで出迎えて。「・・・あんたは遅すぎるのよ」、とやり返す。玄関先で20分以上待たされたけれども、そんなことさえ気にならなかった。

 新一と並んで歩くのは本当に久しぶりで、ただ歩いているだけなのにすごく嬉しくかった。
 入院中は電話もできなくて、新一も忙しかったのでろくに顔を見せてもくれなくて、土日はさすがにゆっくりとお見舞いにきてくれたけれども、大阪から出てきた平次や和葉も一緒だったし。
 だから、新一と二人で並んで歩きながら、他愛もない話をするだけでも、心が弾んでいた。・・・それこそ、今日がテストだということを忘れてしまうくらいに。

 なのに。

 蘭の脳裏に、下足箱の前で見た新一の様子が甦った。
 新一は慌てて隠していたようだが、しっかりと見てしまったのだ。工藤新一様、と書かれた、白い封筒を。
 園子は、新一が冷やかされるのが嫌で逃げたのだ、と言っているが、そうではなくて、あの手紙を蘭に見せたくなくて蘭だけを先に行かせたのではないか、と蘭は思っている。

(・・・あれってやっぱり、ラブレターよね)

 新一が女の子にもてるのは、なにも今に始まったことではないので、いまさらそのことで落ち込んだり悩んだりするつもりはない。
 ・・・ないのだが・・・気にならない、といえば嘘になる。

 新一はあの日、蘭に対して「ずっと大好きだった」と告白してくれたし、・・・キスも、してくれた。
 新一が自分と同じ気持ちでいてくれたことがわかって、すごく嬉しかった。そんなこと、思ってもいなかったから。(・・・思ってなかったのは、あんたくらいよ。と、後日その話をしたときに園子に言われたのだが)
 だけど、だからと言って、新一はわたしのもの!・・・だなんて考えるのは、やっぱり自惚れだよね・・・?

 人の心は自由なのだから、それを縛り付けたり咎めたりだなんてこと、できやしない。自分以外の誰かが新一のことを想っていることも・・・どんなにそれが嫌だと思っても、それを「嫌だ」という権利などどこにもない。
 さらに、その「自分以外の誰か」と新一が会って話をすることを止める権利だって・・・蘭には、ありはしないのだ。

「・・・何よ、せっかく久しぶりに新一君とラブラブで登校してきたって割には、浮かない顔してるわね」

 蘭の表情に陰りが射したことに気づいた園子が、意外そうに首をかしげた。
 いつもであれば、「そんなんじゃないわよ!」と強がってみせるところだが、このもやもやした気分を聞いてもらいたいという気持ちもあって、蘭は素直に園子に心情を吐露する。

「・・・新一の下足箱に、ラブレターが入ってたみたいなのよね」
「またぁ?」

 園子は呆れたように肩をすくめた。

「・・・また?」
「復学してから毎日よ。昼休みに呼び出されたり、放課後待ち伏せされたり。ほとんどが1年生みたいけどね。・・・新一君、2年生になった途端に休学してたじゃない。あいつを目当てにこの高校を選んだ1年生が結構いたみたいでさー、もう待ってましたといわんばかりに・・・。昨日なんて、1年女子で1番人気の、あの加納友香まで教室に押しかけてきて、新一君に告っちゃってさ。まったく、あんな推理オタクのどこがそんなにいいんだか・・・あ、もちろん新一君、ソッコーで断ってたから、安心していいわよ」
「・・・うん・・・」

 さりげなく新一をこき下ろしながら説明してくれたその話の内容に、蘭は小さくため息を落とした。
 わかってはいたけれど・・・新一のことを想っている女の子は、自分だけではないのだ。
 彼女達も新一の心が欲しくて、がんばっている。彼女達も新一が帰ってくるのをずっと待っていた。・・・自分と、同じように。
 新一を好きだという気持ちは誰にも負けない自信はあるが、でも新一が、彼女達の強い想いに心を動かされたりしないという保証なんて、どこにもないのだ。即行で断っていた、と園子は言ってくれたが、これからもそうだという保証なんて・・・ない。

 自分は我侭なのだろうか。
 新一がいなかったときには、早く帰ってきてくれることだけが望みだった。それなのに、その望みがかなって新一が帰ってきたら、今度はその新一に・・・自分だけを見て欲しいと望んでいる。

「もう、何の心配してるのよ!新一君の彼女はあんたなんだから、ラブレターなんて気にすることないって!」

 園子が蘭の背中をばしっと強く叩いた。
 そうやって励ましてくれる親友の暖かな気持ちが嬉しかった。が、「新一の彼女」の言葉に、蘭は顔を赤くして否定する。

「彼女だなんて、そんなんじゃないわよ」
「・・・え?違うの?」
「だって別にわたし達、付き合ってるわけじゃないし・・・幼馴染、なんだから」

 蘭の言葉に、園子は驚いたように目を見開いた。

「・・・・・・嘘でしょ?だって、新一君、いつも・・・」

 園子が言いかけたとき、ちょうど始業のチャイムが鳴り、同時にテストの束を抱えた教師が教室に入ってきたので、蘭は話を中断して、くるりと身体を前に向けた。
 試験監督の教師が前の扉から入ってきたのとほぼ同時に、後の扉からは鞄を小脇に抱えた新一がこっそりと教室の中に入ってくる。時間ぎりぎりまで教室に入ってこなかったところを見ると、園子の言うように、クラスの男子達に冷やかされるのを避けようとしたのかもしれない。

 園子の隣、蘭の斜め後ろの席にカバンを置いてふうと息をつく新一と、ちょっと振り返った瞬間に目があった。
 蘭に向かってにっと笑ってみせる新一に、先ほどまでの浮かない気分も忘れて、つられて微笑みかえす。

「・・・やっぱりラブラブなんじゃないの」

 園子が蘭にだけ聞こえるように、小さな声でささやいた。



※※



 蘭に、「ちょっと用事があるから教室で待っててくれ」と言い残し、新一はその日のテストがすべて終わると、素早く教室を抜け出した。

 明日は蘭の苦手な数学の試験がある。
 今日は午前中で終わりなので、新一の家で蘭に昼食を作ってもらい、そのお礼に数学の家庭教師をしてやろう、という約束を、今日の登校時に蘭と交わしていた。
 テスト期間中はできれば呼び出さないで欲しい、と目暮警部にさりげなく言ってあるので、警視庁からの応援要請もないはずだ。

 で、久しぶりの蘭の手料理も、久しぶりに二人っきりで勉強会、という美味しいシチュエーションも、新一には楽しみではあるのだが、その前に片付けなければならないことがある。もちろん、今朝の挑戦的な手紙による呼出しの件だ。
 第一体育館裏へと急ごうとする新一だったが、

「ちょっと、新一君っ!」

 と、追いかけてきた園子に、階段の手前で腕を掴まれた。

「・・・あんだよ。急いでんだよ」
「あんた蘭に、何て言ったの?」
「はあ?」

 園子の質問の意味がわからず、思わず眉間に皺を寄せて問い返す。園子はじれったそうに、んもうっ、と呟くと、新一の耳元で小声で囁いた。

「だから、蘭に何て言って告白したのか、って聞いてんのよ!」
「・・・何でオメーにそんなことをいちいち報告しなきゃならねーんだ・・・?」

 急いで追いかけてきたので何事かと思ってみれば、何なのだ、その脈絡の無い詰問は。
 が、園子の表情は真剣そのもので、その迫力に新一のほうが押されてしまう。

「いいから!・・・ちゃんと蘭に言ったんでしょ?そうじゃなきゃ、『付き合ってるヤツいる』だなんて、言わないわよね?・・・何て言ったのよ」
「だから、何でそれをオメーに・・・」
「ちゃんと蘭にわかるように、はっきり言ったんでしょうね?蘭がむちゃくちゃ鈍感だってこと、わかってる?」

 ここまで聞いて、どうやら園子は単なる好奇心から新一を詰問しているわけではなく、何か思うところがあってのことらしい、ということに気づく。

 蘭が鈍感?そんなこと、言われなくてもわかっている。
 他のことでは妙に鋭いところもあるのだが、こと恋愛に関しては、かなり無頓着というか、天然ボケしているというか・・・自分に向けられる「その手の気持ち」に疎いところがあるのは確かだ。(あんたも人のこといえないでしょ、とは、後日の園子の意見である)
 だが、新一があの日蘭に告げた言葉は、どんなにがんばっても誤解のしようがない、単純明快な言葉だったはずで・・・。

「・・・いくら蘭でも、ぜってーわかってると思うけど・・・」

 しかも直後に、キスまでしてるし。
 そのときのことを思い出して、視線を逸らして少し頬を赤らめて呟く新一に、園子は腕組みをしてふむ、と頷いてみせる。

「おかしいわね。じゃあ、何で・・・?」
「・・・わりーけど、マジで急いでるんだ。その話、明日にしてくれ」
「あ、ちょっと、新一君っ!」

 なおも追いすがろうとする園子を振り切って、新一は二段とばしに階段を駆け下りた。
 園子の話が気にならないわけではないのだが(何しろ蘭に関することなので)、今はこっちのほうが重要だ(こっちも、蘭に関することなのだ)。急ぐ話ではないようだし、続きは明日にしてもらおう。

 第一体育館の裏手は、校舎から中庭に通じる渡り廊下を少しそれたところにあり、あまり生徒が通らない場所である。
 よって、カップルの待ち合わせ場所や、何かのお呼出などに利用されることが多く、新一もかつて何度か呼び出されたことがある場所だ。
 ・・・が、女に呼び出されることはあっても、男に呼ばれることがあるとは思ってもみなかった。

 新一は渡り廊下にたどり着くと、木陰に隠れるようにして体育館裏を覗き見た。
 自分達以外にも待ち合わせをしている生徒がいるらしく、何人かの女子生徒が誰かを待っているようである。・・・が、男の姿はない。

(・・・自分から呼び出しておいて、遅れてくるか?)

 その失礼な態度に、かなりむっとする。
 ・・・先に待ち合わせ場所で待っているのも癪なので、新一はその場で件の男が現れるのを待つことにした。
 こっちは向こうの顔を知らないわけだが、今その場所にいるのは女ばかりなので、彼女達の待ち合わせの相手でない男がやってきたら、それがずうずうしくも「毛利命」などと書いてよこした1年坊主ということだ。

 蘭が、帝丹高校の男子生徒の間でかなり人気が高いことは、新一もよく知っている。(・・・当の本人は、そのあたりの自覚があまりないようなのだが)
 コナンになって休学を余儀なくされる以前にも、蘭に言い寄ってくる男がいなかったわけではない。
 当時はただの「幼馴染」に過ぎなかった新一にとって、そんな男どもの存在は実に目障りで、「こいつに手を出したら、ただじゃおかねー」光線を全身から発して何とか追い払ってきたものだ。
 ・・・その甲斐あってか、同学年以上の生徒で新一を敵に回してまで蘭を狙おうとする勇気のある男は、現在でもほとんど存在していない。

 コナンであった頃の方が実はもっと大変で、いくら新一が光線を発しても、しょせんは子供と相手にもされず、かなりやきもきさせられたものである。しかも肝心の蘭は自分に向けられる好意の視線に対してはまったくもって鈍感で、無意識のうちに誰もが見惚れてしまうような笑顔をそこらじゅうに振り撒くものだから、寄ってくる虫を追い払うのにどれだけ苦労させられたか・・・。
 そういった意味でも、コナンであった頃は新一にとって苦難の日々だったのである。

 しかし、無事に元の姿を取り戻して「蘭の隣のポジション」を確保した以上、蘭に言い寄ってくる男どもには、そのあたりをきっちりと分からせてやらなければならない。

(・・・それにしても、遅いな)

 再度、遠目で待ち合わせ場所である体育館裏を覗きみてみるが、それらしい男子生徒の姿は確認できない。
 何人か男がやってきてはいるのだが、それらはすべて別口の待ち合わせのようで、先に待っていた女生徒と連れ立って消えていってしまう。
 気がつけばほとんどの生徒が帰宅してしまい、待ちぼうけをくらわされたと思われる女の子が独りぽつんと立っている以外には、誰もいなくなってしまった。

 終業時刻から、すでに30分以上が経過している。・・・まさかとは思うが、向こうで呼び出しておきながら、すっぽかしか?
 それとも新一と同じく物陰から様子を窺って、新一がくるのを待っているとか?

 新一はポケットから問題の手紙を取り出すと、改めてその文面に目を走らせた。筆跡からは丁寧で几帳面な印象を受ける。・・・どちらかと言うと、女性的な字だ。文字も丁寧、文章も丁寧。・・・かなり几帳面な性格だろう、と想像がつく。
 そんな几帳面な人間が、自分で呼び出した相手をすっぽかすとは思えないのだが・・・。

「・・・何してるのよ?」

 呼出し状を手に自分の考えに没頭していた新一は、そう声をかけられるまで、背後から近づいていた気配に、まったく気づかなかった。
 振り向かなくても声を聞いただけで、誰なのかわかる。・・・教室で待たせているはずの、蘭だった。

「・・・蘭・・・」
「もうみんな帰っちゃったわよ?」

 いつまでたっても戻ってこないから、探しに来たのだ、と言いながら、蘭の視線が新一の手の中の白い便箋の上にとまる。慌てて背後に隠そうとしたが・・・時すでに遅し。蘭の目には、しっかりとその文面が焼き付いていたようだ。

「・・・それ、今朝の手紙・・・?」

 やはり今朝、この手紙をポケットに隠すところを見られていたらしい。
 いまさら隠し立てすることもできず、新一はぶっきらぼうに、「ああ」と答えた。
 そしてばれてしまった以上は、聞きたいことは聞いておかなければならない。

「・・・オメーの知り合いみてーだけど?」

 言いながら、その手紙を蘭につきつける。・・・一体どういう知り合いなのか、どういう関係の男なのか、教えてもらおうじゃねーか・・・という言外の意味を込めて。
 不思議そうな顔をしてそれを受取った蘭は、その文面に視線を落としてゆっくりと文章を読んだ後で、はっと息を飲んだ。

「・・・マコトちゃん・・・」
「・・・誰だよ、それ」

 呟くように漏れた聞き覚えのないその名前に、新一のこめかみがぴくっと上下した。
 蘭の口から自分の知らない男の名前が、しかも「ちゃん」付けで出てきたのが気に入らず、新一の声は自然と低いものになる。

 しかも、だ。この手紙には差出人の名前など、どこにも書かれていない。
 『毛利命』と、新一に対する挑発的な言葉が添えられているだけだ。
 それなのに蘭はこの手紙をざっと見て、筆跡と、文章の内容と、そしてこの『毛利命』という言葉だけで、手紙の差出人を特定した。
 ・・・つまり相手は、それだけ蘭に近しい存在である、ということだ。・・・新一が、まったく知らない人間であるというのに。
 憮然として蘭を見つめる新一に、蘭は困ったような微妙な笑みを見せて肩をすくめた。

「空手部の、1年生よ。わたしのこと、すごく慕ってくれてて・・・すごくかわいいコなんだけど・・・」

 慕ってくれてる?
 すごく、かわいい?

 蘭の言葉や口調から、その1年生に対しての少なからぬ好意が感じられて、新一はますます憮然とする。
 しかし自分の言葉に新一が気分を害してしまっているとは思ってもいないのか、蘭の調子はまるで変わらず、ちょっと首をかしげて一人で何やら呟いている。

「・・・でも、まさか、新一にこんな手紙を出すだなんて・・・マコトちゃん・・・そうだったんだ・・・全然、知らなかったな・・・」

 蘭の口調には戸惑ったような響きは感じられるものの、「嫌がっている」「迷惑している」といった感情は読み取れない。
 それはまさか・・・まんざらでもない、ということなのか?
 慕ってくれている「かわいい」後輩が、実は自分に想いを寄せていて、そいつが自分の「彼氏」に挑戦的な呼出状を送りつけてきたというこの状況を知っても、「わたしは何とも思ってないわよ」とか「ただの後輩よ、何でもないのよ」とか・・・そういう言い訳一つしないというのは、どういうことだ?

 蘭の平然とした(・・・と、新一には見えた)態度がどうにも面白くなく、新一は腕を組んでむすっとした顔を隠そうともせずに蘭ののほほんとした顔(・・・と、新一には見えた)をじとっと睨みつけた。
 蘭はそんな新一の不機嫌な様子に対し、不思議そうな顔をしている。・・・どうして新一がむすっとしているのか、よくわからない、といった様子である。

「それで、マコトちゃんとは、もう話は終わったの・・・?そのために、わたしを待たせてここに来てたんでしょ?」

 ・・・話の内容は気になるのか、そう尋ねてくる。相変わらず、いつもと変わらない口調で。
 何で、オレが不機嫌だってことに、気づかねーんだ・・・?と心の中で呟きながら、新一はこれまた憮然とした調子でその問いに答えた。

「・・・いや、すっぽかされたみてーだぜ?」
「え?うそ・・・そんなことするようなコじゃないんだけどな・・・」

 蘭は新一の背後を覗き見るようにして、待ち合わせ場所である体育館裏に視線を送った。
 つられて新一もその場所を見てみるが、さきほどまで一人残っていた女子生徒もすでにいなくなっており、その場には人影はない。
 しかし、蘭のその言い方に、新一はまたまたカチン、とさせられた。
 蘭と話せば話すほど、蘭から「マコトちゃん」とやらの話を聞けば聞くほど、新一の機嫌は下降の一途を辿っていく。で、ついつい皮肉を口にするのだが・・・。

「・・・随分、そいつのことわかってるんだな」
「そりゃ、後輩だもの。慕ってくれるし」
「・・・へえ」

 蘭にはまるで、その皮肉が通じない。それどころか、さらに新一の勘に触るようなことを言ってくれる。

「あ、あのね、新一・・・」
「・・・あんだよ」
「マコトちゃんって、ちょっとデリケートっていうか、気の弱いところあるから・・・あんまり、きついこと言わないであげて欲しいんだけど・・・」
「・・・・・・」

 ・・・何なんだ?
 呼び出されたのは、オレのほうなんだぞ?
 その「自分の大事な(・・・と思っているかどうかは知らないが)彼氏」ではなくて、こんなふざけた手紙で人を呼び出すような無礼者の1年坊主の方を心配してんのか・・・?

 もう返事をする気も失せて、新一はむっつりと黙り込んでしまった。
 と、さすがに新一の全身から発される不機嫌なオーラに気づいたのか、蘭は戸惑ったようにその大きくて黒い瞳をぱちぱちと瞬かせる。

「・・・えと、新一・・・?どうかした・・・?」

 新一が不機嫌であるということはわかっても、なぜ機嫌を悪くしてしまったのかはわかっていないらしい。

(・・・鈍い鈍いとは思ってたけど・・・何でわかんねーかな・・・)

 かと言ってその理由を蘭に説明するのも、新一のプライドが許さない。
 蘭がその1年坊主とかなり親密らしいことも、自分ではなくてそいつの心配をしていることも、気に食わない・・・などと言えば、まるで自分が嫉妬しているみたいではないか。(・・・いや、間違いなく嫉妬しているのだが、本人はそれを認めたくないらしい)

 そんなわけですっかり押し黙ってしまった新一に、蘭はますますわけがわからない、といった表情を見せるのだった。

「・・・新一・・・?」

 まるで反応しなくなってしまった新一に、蘭もどうしていいのかわからないようで、やはり不思議そうに新一の顔を見つめている。
 まるで一方通行な自分の気持ちに、さらに新一は不機嫌さを増した。・・・言わなければわからないのだろうが、言いたくはない。
 いつまでも黙ったままの新一と、結果として何も話せなくなってしまった蘭との間に、何とも気まずい沈黙が流れた。

 ・・・その沈黙を破ったのは、新一の携帯電話の着信音だった。
 新一は不機嫌な表情のままでポケットから携帯を取り出し、通話ボタンを押した。

「・・・工藤です。あ、目暮警部・・・いえ、構いませんよ。・・・はい。・・・はい、大丈夫です。わかりました」

 目暮警部からの、応援要請だった。
 テスト期間中は避けてほしい、と頼んであったのだが、都内のホテルで若い男女が殺される事件があり、まるで犯人が特定できないため、できれば新一の智恵を借りたい・・・と、申し訳なさそうに話す目暮に、新一は了解の返事をした。

「・・・事件?」
「・・・ああ」

 首をかしげて尋ねる蘭に、これまたぶっきらぼうに返事をし、新一は携帯をポケットに片付ける。

「わりーけど、今日の約束、なしにしてくれ。すぐ高木刑事が迎えにくるから・・・」
「・・・そっか・・・。事件だったら、しょうがないよね・・・」

 蘭は見るからにがっかりとしたように肩を落とす。
 一応、今日の約束は、蘭なりに楽しみにしていてくれたのか・・・?と、その様子からは思われて、わずかに新一の機嫌を上昇させたのだが、その蘭からマコトちゃんからの手紙を「はい」と差し出され、再び下降してしまった。

「じゃ、がんばってね。早く終わったら、電話してくれる?」

 新一の機嫌の悪さなど関係ない、とばかりににっこりと笑う蘭に、「・・・ああ」とこれまた憮然と答えると、蘭は一瞬だけ不満そうな表情をその瞳に宿らせた。
 が、結局何も言わずに、新一をその場に残して教室へと戻っていく。
 その後姿を見送りながら、新一は苛々とする自分の心を持て余していた。

 ・・・すべてが、非常に面白くなかった。

 生意気な1年坊主の存在も、そいつに少なからぬ好意を抱いているらしい蘭の態度も、そんなことに心を乱している、情けない自分自身も・・・。



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